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文章の中の私を見つけてくれた人

 今年は元旦の朝から出かけた。

 自宅から近い、住宅地に佇む小さな神社に歩いてお参りに行った。普段は静かな場所なのに、ひっきりなしに近所の方がお参りにやってくる。ここがこんなに賑わうのはお正月だけではないだろうか。出店はない。小さなおみくじの箱が置いてあり、顔を寄せ合っておみくじを読んでいる親子がいる。たくさんの人がいるが、ひっそりと静かだ。ときどき鈴を鳴らす音が聞こえてくる。
 ここの小さな拝殿は苔むした階段を登った先にあり、登る人と降りる人が自然と左右に分かれ狭い階段を行き来していた。お参りを終えた私が降りてくると、階段の下で家族を待っているらしいおばあさんがいた。きっと誰かが代わりに祈りを捧げているのだろう。

 境内でお焚き上げをしている煙がゆったりと立ち上っている。煙の行き先を見上げると、雲一つない快晴だった。私はコートのポケットからスマホを取り出し、写真を撮った。近くにいた男性が私を見て、空を仰ぎ、そして私がしたのと同じようにスマホを空に向けて構えた。
 撮った写真を見てみると、いま自分が見た空とはなんだか違っているような気がする。どうせ見たものをそのまま残しておくことなんかできない。私はポケットにスマホを戻し、おみくじをひいた。小吉だ。
 去年は末吉だったから、これはこれでよいのだろう。それでも去年のものより手厳しい忠告がたくさん書かれていた。失くしものは見つからないし、商いは儲からないそうだ。個人事業主にとっては耳に痛い言葉だが、ありがたいと思えないことこそ、実は聞くべきことなのだろう。手元に残しておくのはちょっといやだなと思い、くくっておくことにした。
 結ばれたおみくじの横に、真新しい絵馬が並んでいる。合格祈願をしている人が多い。そういう季節だ。

 

 高校3年の時、担任の先生は国語の先生で、古文の授業を受け持っていた。穏やかな男性の先生だった。生徒たちからは下の名前にちゃんづけで呼ばれていた。
 先生がきらいなわけではないが、古文の授業はあまり楽しいとは思えなかった。古文を楽しめなかった理由はいくつかあるが、そのひとつは日本語であるはずなのに読めない、というもどかしさだった。長い年月が言葉の姿を変えてしまうこと、それ自体は興味深い。だけど試験で辞書を使わずに読めなくてはいけないというのは苦痛だった。実際はどんなふうに会話していたのかを想像するほうが楽しかった。いとをかし、だなんて発音してたのだろうか。古典の名作の内容をよく覚えていないのは、私がちゃんと勉強しなかったせいだ。それでも、当時を生きた人が今の私と同じように愚痴や文句を言って暮らしていることを、すっかり形の変わった日本語が長い年月を経て伝えることができるなんて夢があるな、と思ったことはよく覚えている。

 友達がみんな志望校を決めて勉強を始めているのに、私は出遅れていた。
夏になってようやく決めて先生に報告に行った。実力そのままでは少し厳しい。それはわかっていた。先生は、ちょっと厳しいかなぁとあっさり素直に言った。同じ大学の他の学科なら偏差値がちょっと下がるからいいんじゃないか、と付け加えた。希望の大学にはとりあえず入れるかもしらんし、行かれへんよりましやろ、と言う。
 先生、私どこでもいいわけちゃうんですよ、と口答えしたが、かなり無謀な挑戦であることを認識せざるを得なかった。

 志望校の二次試験では小論文が課せられることがわかっていた。考えてみれば、その時まで私は自分の文章を採点したり添削したりしてもらった記憶がなかった。作文や読書感想文はたくさん書いたけど、点数はつけてもらっていない。先生は国語の先生だから、何かアドバイスがもらえるのではと相談してみたら、時間がある時に添削してあげると言ってくれた。ノートを机に置いといてくれたらいいよ、ということだったのでお願いすることにした。 問題集だったか、志望校の赤本だったか、小論文の課題をいくつかノートに書いて、先生の机に置いておいた。

 数日して、職員室に行くと先生は席にいて、隣の先生となにやら話している様子だったが、私を見つけると片手を高くあげて、おぉちょうどよかった、と言った。先生は私にノートを手渡しながら笑って言った。

 かったいなぁ〜

 文章が硬い、ということだった。男の人が書いたみたいな文章やなと思ったわ、と付け加えた。
 私は、小論文の試験で点数をとるためにどうすればいいか、という話を聞くことになると思っていたので、先生の第一声が文章の印象についてだったことに面食らった。え、そうですかと言うと、先生はうなずいている。もうちょっと素直に書いたらいいよ、難しいことせんでいいねん、と言う。
 確かに自分でもやや批判的な書き方をした自覚があった。◯◯についてどう思いますか、あなたの考えを◯字以内で書きなさい、と言われたらたいてい私は辛辣に書いた。高校生が書く小論文としては、かなり辛口だったろうと思う。もっとこうするべきではないか、という立場で書く方が書きやすかったから、というだけだったのだが、確かに素直な文章ではなかった。
 それから私は批判的になりすぎないように注意して、素直に書こうと努力した。さらに何度か添削をしてもらい、そのたびに先生から、まだかたい、とコメントをもらった。どこをどう直せ、みたいな話はなかった。もっと素直に。先生のアドバイスはこの一点だった。


 1月。寒い朝、私は友達と一緒にセンター試験の会場へ向かっていた。緊張と寒さで震え出しそうになるのを、おしゃべりでまぎらわせていた。会場が近づくと友達は、あかんやばい、しか言わなくなった。落ち着こうと声を掛け合い、友達と何度も深呼吸をした。吐く息が白い。空は青く、凛と晴れ渡っていた。
 会場の校門が見えてきた頃、友達が言った。

 あれ、先生ちゃう?

 うそやん、と私は小さな声で言った。次々と受験生が通り過ぎる校門の横に、先生はいた。黄色い自転車にまたがり、エイリアンの頭みたいなヘルメットをかぶっている。前傾姿勢で片足をつき、ぞろぞろと続く受験生たちを見ていた。やがて先生は私たちに気づき、片手を高くあげた。

 おぉ、おはよう!

 私は思わず言った。先生、こんなとこでなにしてるん。
なにって、見送りにきたんやんか、と先生は笑っている。天気が良くてよかったなぁと空を見上げ、昨日はちゃんと寝れたか、と聞く。私は予想外に先生に会えたことでちょっと動揺していた。先生、家から遠いんちゃうの、と友達が聞いている。おぉ、40分くらいかかったで、とこともなげに先生が言う。ちゃりんこで40分、と言いながら友達が手袋をした手を叩いて笑っている。
 先生なにしてるん、ほんまに。私は一緒に笑っていたけど、何を笑っているのかわからなくなっていた。

 まぁ、心配せんとな、頑張りや

 先生は私たちに手を振ると、自転車で帰って行った。あかんやばい、しか言わなかった友達は、朝からめっちゃ笑ったわ、とくすくす笑っている。私もめっちゃ笑ったわ、と言いながらふと気づいた。震えるような緊張はなくなっていた。先生、ほんまになにしてるんやろ。また心の中で思った。

 それなのに、である。センター試験の結果は目も当てられないほど惨憺たる結果だった。おそるおそる自己採点をして、私は絶望した。だめだ。過去最低記録かもしれない。先生に報告すると絶句していた。うぅ、と喉の奥で小さくうなった。ほんまに合計間違ってへんかな、と何度も言う。そういう問題ではないことはわかっていた。あぁ、これは困ったなぁ、と先生は両手でごしごしと顔をこすり、私以上に困惑していた。
 先生は心配していたが、私は予定通り志望校を受験することにした。同じ大学を受験する学生の中で、私のセンター試験の点数は間違いなく最低ランクだ。二次試験で圧倒的に得点しなければ合格の見込みはない。そんなことあり得るだろうか。自分よりセンター試験で高い点数をとった学生に勝て、ということだ。やっぱりあり得ない。あとはもう、先生に見てもらった小論文の威力を信じるしかない。


 素直に。難しいことせんでいいねん。私は頭の中で先生の言葉を繰り返しながら小論文を書いた。周りの受験生は、みんな自分より賢そうに見える。いや、実際そうだ。でも私は難しいことをしなくていいのだ、素直に書くだけでいい。
 終了です、の声とともに、張り詰めていた空気が一気にゆるんだのを感じた。ふぅ、とため息を吐く人、のびをする人、大急ぎで荷物をまとめる人、そしてどこかで鉛筆が転げ落ちる音。動き出した空気とともに、私は教室の外に吐き出され、寝起きのようなぼんやりした頭で思った。
 私はまだ、かたかっただろうか。


 信じられないことに、私は志望校に合格した。
 発表の翌日、登校した私は、その足で職員室へ向かった。『入る時は大きな声で「失礼します」』とマジックで書かれた紙がパリパリと波打ち、引き戸に張りついている。私は黙ってドアを開け、先生!と呼んだ。先生と周りにいた何人かの先生がこちらを向いた。先生の顔は強張っている。吉報を聞くとは思っていない顔だな、と思った。私はわざと真顔のまま、ずんずんと先生のそばへ歩いて行った。先生の表情は固まったままだ。身動きもしない。すぐ前まで行って、私は言った。

 先生、受かった。

 先生は、う、と小さな声を出した。それからえええと大きな声を出して満面の笑顔になった。突然、うへぇ、みたいな声を出した先生を見て、周りの先生はくすくす笑っていた。
 もう絶対あかんと思ってたわ、と先生は言った。先生は立ち上がり、腕を組んだまま天井を見上げ、うわぁよかった、とまた言った。ぼくにとってはクラスの子みんなかわいいねん、だからみんな第一志望に行ってほしいやん、あかんかったらどうしようかと思ってたわ。先生は一気にそう言ってから、いやぁよかった、と何度も繰り返した。近くにいた先生たちも、良かったね、おめでとう、と口々に言ってくれた。
 ありがとうございました、と私は言って、照れ隠しにピースをした。先生は、やったやん、と言ってピースをかえした。 


 つい最近、高校の同窓会から会報が届いた。定年で退任された方、という欄に先生の名前が載っていた。もうそんなに経ったのか、ということに驚き、それから先生が定年まであの学校で活躍されていたことに、不思議な安堵を覚えた。きっとたくさんの生徒が試験会場の前で、先生なにしてるん、と笑ったことだろう。

 先生は、私の文章を初めて評してくれた。先生は、私の文章の中にある私に初めて気づいてくれた。そして、私にそれを気づかせてくれた。

 私は知っている。私は、かたい、らしい。
 私は覚えている。寒い朝、教え子を待っていた先生の姿と、抜けるように青い空を。いつでも、見たままに思い出せる。かたさも素直さも、そしてあたたかさも。

 どうせ、見たものをそのままに残すことができないのなら、思ったままに素直に書けばいい。青空は撮影した瞬間、カメラの中のデータになってしまう。でも文字になった思いは単なるデータにはならない。誰かの中で、思いとして蘇り、またどこかに伝わっていく。形を変えてそれは伝わっていく。遥か昔の古典が今も私たちに語りかけるのと同じように。

 私は、残そうと思う。
 まだかたい、としても、そのままを残しておくのだ。


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思い出を 思い出す時 つらつらと





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