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捏造と編集のあいだ~クロ現・捏造報道の考察(中編)

必然的に捏造を生じさせるような要素が、番組制作の過程にあらかじめ組み込まれている。だから、いくら再発防止策を講じても捏造報道がなくならないのです。※前編はこちら

そこには制作スタッフ一人ひとりの努力ではいかんともしがたい、構造的な欠陥があります。おそらくNHKの「中の人」たちもそんなことはとっくにわかっていて、大人の事情だか組織の論理だかで解決できずにいるのでしょう。(だからこそNHKの健全化には、BPOや他メディア、世論による「外圧」が必要なのです)。

捏造を生む構造的欠陥として考えられるのは、以下のような点です。

取材担当ディレクターが取材対象者の情報を独占することができる】
撮影込みの取材(ロケ)にはディレクターの他にカメラマンも同行します。なので、取材時に起こったこと、そのとき得た情報については、ディレクターだけでなくカメラマンも把握しているはず。でも、カメラマンが編集過程に大きく関与するとは考えにくい。

カメラマンが編集過程に加わらないとしたら、取材時の様子を知るのはディレクターだけになり、取材対象者の情報を抱え込むことが可能になる。これはとても危険なことです。情報を独占することにより、ディレクターが好きなように情報を改変、捏造することができるからです。しかもそれを他のスタッフが関知して、待ったをかけることができない。絶望的な状況です。

事実を捻じ曲げる意図がなくても、認識の誤りや確認不足などにより、取材対象者の実態をじゅうぶんに把握していない場合もあるでしょう。この場合も、誤った認識や過失が修正される機会はありません。取材で得た映像や音声その他のデータを「素材」として編集担当者に渡し、誤った認識も併せて伝えてしまうことになる。

編集担当者は取材に同行しませんから、取材対象者に直接会う機会はありません。取材担当のディレクターから間接的に情報を得るしかないのです。

そこで伝えられる情報が間違っていたら、その間違った情報をもとに編集作業が行われます。たとえ編集担当者と取材担当者が密に連携していたとしても、事態は改善されるどころかますます悪化するかもしれない。間違った認識を持ったまま意見交換しても、誤りが強化されるだけです。

事実、私がNHKとの交渉で聞いた話では、何回も試写をして議論を重ねていくうちに、私に関して事実無根の誤った認識が形成されてしまったとのこと。取材で得た情報を制作スタッフの間で勝手に解釈してこねくり回した結果、どういうわけか私は「働きたくても一歩を踏み出せなくて、掃除ばかりしてる人」に仕立てられていました。

試写にチェック機能が全くないことが、この証言で明確にわかります。むしろ試写をすることで、事実からますます離れていくきらいすらある。こうやって何度も試写を経たVTRを、エライ人たちが最終チェックするらしいんですが、彼らも間違いにはぜんぜん気づかない。出来上がったVTRが虚偽の内容であってもそれなりに辻褄が合っているので、エライ人たちが寄ってたかって試写しても無駄なんです。

真相を知るのはただひとり、取材担当のディレクターだけ。当人が口をつぐんでいれば、誰も虚偽・捏造には気づかない。物語として破綻していなくて、なおかつインパクトがあれば、試写でOKが出るのでしょう。

そういえば、編集期間中に取材担当ディレクターから電話かかってきて、「NHKのおじさんたちからOK出ました」って嬉しそうにいってたもんなぁ……。

試写を見るエライおじさんたち。NHK for Schoolのサイトより。小学5年生向けの動画。

最初に番組の企画をたてる段階から、捏造する気まんまんでスタートする場合もあるのかもしれないけど、そんなに露骨なケースは多くないと信じたい。たいていの場合は、番組制作の過程でセンセーショナルな効果を追求しているうちに、事実からどんどんかけ離れてしまうんでしょう。
事実と異なる放送内容って……それって捏造ですからね!

企画の段階はともかく、取材(彼らにとっては「素材集め」)の段階では、取材担当ディレクターの裁量がかなりきくのではないかと思う。取材対象者を都合よくコントロールすることも、やろうと思えばわりと簡単にできるのです。

なんといっても大半の取材対象者にとっては、放送局との窓口はそのディレクターだけ。マスコミの取材を初めて受ける人は、勝手がわからないし業界にツテもないから、目の前にいるディレクターがおかしなことをしても気づかないでスルーしてしまう。そして、後でとんでもない不利益を被ることがあるのです。私がそうであったように。

つまり、取材担当ディレクターは、取材対象者と番組制作スタッフとの間に立って両者をつなぐ役割を果たすのだけれど、その立場を悪用すれば、両者の間に壁を作って情報を遮断し、操作することができる。自分の好きなように「素材」を料理してしまえるんです。

その「素材」とされる取材対象者は、場合によっては自分の個人情報を含めたプライバシーを取材で明かす、というけっこうなリスクを負うのに加えて、番組内容を事前に知りえないため、さらなるリスクを負わされることになる。放送された番組が実態とはかけ離れていた場合、さまざまな不利益を被るのは放送局やそのスタッフではなく、取材対象者なのです。

にもかかわらず、番組が放送される前に取材対象者が内容をチェックすることは、実質的に不可能なんです。番組VTRそのものを見ようとしても、表現の自由を盾に断られてしまいます。
放送内容の概要をテキストで知らされることもありますが、文字情報のみではかなり不十分です。実際に放送されるのは、取材で得た「素材」にかなり手を加えたもの。映像にナレーションとテロップをつけてコテコテに脚色した、「加工品」なのですから。

私だって、あんな風に自分のことを捻じ曲げて悪く描かれていると知ったら、放送の差し止めを求めたでしょう。そういう面倒なことが起こるのを防ぐために、テレビ局の人は事前に番組内容を見せるのを嫌がるのかもしれません。

なにはともあれ、勝手に取材対象者の人格や人生を捻じ曲げて報じていいわけがない。それなのに、NHKの取材担当ディレクターは平気でそういうことをしたのです。

かりに担当者が独断でやったことだとしても、人権侵害を引き起こすほど重大な捏造報道を許す土壌が、NHKにはあるのだと思います。そこに切り込んでいかなければ、同じ過ちは何度でも繰り返されるでしょう。(後編に続く)

新聞業界の事情を知り、補足記事を書きました。こちらもぜひお読みください。↓


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