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捏造と編集のあいだ〜クロ現・捏造報道の考察(前編)

クローズアップ現代「女性のひきこもり」の回に関して、私への取材は2回あり、合計10時間ほどかかりました。打ち合わせも含めれば15〜16時間にもなります。それを5分程度の番組VTRにまとめるのは、しょせん無理があるんですよ。魔法使いじゃあるまいし。

短い時間に納めるのは大変だとか、短い中で伝えるのは難しいとか、NHKの人たちは泣き言を口にしてたけど、そんなのは向こうの都合です。こっちは知ったこっちゃないですよ。出演場面を短くされるのはまだしも、捏造されたらたまらない。

短いVTRだからこそ誤解なく正確に伝わるよう、細心の注意を払うべきだと思うけどね。あの人たちには、事実を正確に伝えようとか、出演者が訴えたいことを伝えようとかいう気はないんです。自分たちが伝えたいことを、好き勝手に伝えるだけ。だから問題が起きるんです。

それはさておき、取材担当のディレクターとは別に編集担当のディレクターがいて、連携して編集作業に当たっているとNHKの人から聞いたとき、「編集担当がいる」という点にひっかかりを感じました。

捏造が発覚するまで、私とNHKのやり取りの窓口は、取材担当のディレクターのみでした。編集担当のディレクターとは直接やり取りしていないので、私の意向や個人的事情がほとんど伝わってないと思う。分業体制になっている以上、取材担当と編集担当の意思疎通がうまくいかなければ、とんでもないものが出来上がってしまう。ちゃんと連携しているかなんて怪しいものです。

極端な話、取材担当者が取材で得たデータを編集担当者にそのまま渡して、「あとはよろしく」って丸投げしてるかもしれない。編集担当者が適当に映像を切り張りして辻褄を合わせれば、捏造番組の出来上がりです。表面上、筋が通っていれば、捏造や歪曲に誰も気づかない。試写を何度繰り返しても、何人ものスタッフが映像を確認しても、無駄なんです。

今回の一件でも、番組の総合プロデューサーを問いただしたら、最後の試写では特に違和感を覚えなかったと言ってました。編集済みのVTRを見ても、おかしな点には気づけないんでしょうね。取材を担当したスタッフが白状しない限り。

それを裏付けるような記事が、クロ現公式サイトの「取材ノート」というコーナーに載っていました。
タイトルは、“「クローズアップ現代」放送までの24時間に2年目カメラマンの私が潜入してみた” というもの。

この記事を読むと、捏造や歪曲、過剰な強調などの虚偽報道が起こるメカニズムが見えてきます。

入局2年目のカメラマンが「潜入」したのは放送前日17時30分の放送センター編集室。そこで映像の編集担当者から話を聞いています。

・撮影した素材をおよそ2週間かけて編集し、VTRを作り込んでいく
・ロケで得た多くの素材から、重要な情報、心が揺さぶられる映像に目をこらす(強調筆者。以下同様)

2年目カメラマンが「VTRに使いたいと思う映像の基準は何か?」と質問すると……
「これといった基準はないが、いいカメラマンが撮った映像は“感情が伝わる画が多い”」とのこと。

えええ!?「基準はない」って、そんなに適当なの?しかも、「感情が伝わる」っていったい誰の感情?

「心が揺さぶられる映像」とか「感情が伝わる画」とか、テレビ業界の人たちって感覚的で曖昧なことばかり言うよね。要するに、耳目を引くセンセーショナルな場面、反響が多く寄せられるような「画」を選んでるんですよ。事実を正確に伝えることなんか、ぜんぜん頭にないんじゃないかな。

ロケで得た情報はほんとに膨大な量だから、いちいち細かく見て事実と照らし合わせた上で採用する、なんていう悠長なやり方はたぶん不可能。パッと目を引く「素材」をうまいこと切り貼りして、最初に設定されたシナリオに沿うよう「VTRを作り込んでいく」のでしょうね。
こんな大雑把な作り方してたら、放送のたびにトラブル起こりそうだけど、表面化してないだけかな?

あと、この編集室には“ペタボード”という板があって、番組構成やVTR構成を考える際に使われているらしい。このボードにはたくさんの付箋が貼ってあります。「どんな映像をどの順番で使うか、どんなナレーションを入れ込むか、このボードで情報共有している」そうです。紙の付箋を入れ替えながら、構成を考えるらしい。

クロ現公式サイトより。すごく年季の入ってそうな板に付箋が貼ってある。「デジタルとアナログが融合された編集室は少し異様な光景」とは取材者の弁。

付箋がずらっと貼られた板を見て、すごく納得感があった。たぶん「はむた綿棒で掃除」とか「はむたラジオ聴く」とか書かれた付箋をペタペタ貼ってみて、「この方が流れがいいよね」とか言いながら気軽に入れ替えてるんだろうな。

この記事を書いたNHKのカメラマンも、「撮影した素材」「ロケしてきた多くの素材」というように、「素材」という言葉を使っていたけれど、こうやって付箋にされちゃうと「いかにも素材」という感じですよね。取材対象者の人格や尊厳や考えを無視して制作側の都合で細切れにした、という意味での「素材」です。

おそらく、編集担当者の腕の見せどころは、膨大な「素材」からいかにキャッチャーなシーンをピックアップするか、そしてそれらのシーンをどうやって流れるようにつなげて結末にもっていくか、なんでしょう。事実を正しく伝えているかどうかは、そこでは問われないのです。あらかじめ決められたストーリーに沿っていればよく、そのストーリーに込められた制作側の「思い」が伝わればいい。取材対象者が何を考え、何を思っているかは関係ない。いかに人目を引くか、いかに多くの反響を得られるかが何より重要なのです。

クローズアップ現代はドキュメンタリー番組とは名ばかりで、内実はフィクションなんですよ。しかも陳腐で出来の悪い物語であり、三流の「感動ポルノ」です。NHKはそんな質の悪い番組を、視聴者から得た受信料を湯水のごとく注ぎ込んで作っているのです。視聴者はもっと怒っていいと思う。

中編に続く)


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