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7月29日の新聞1面のコラムたち

 涌井慎です。趣味は新聞1面のコラムを読むことです。読売新聞『編集手帳』は「へそ天」について書いていました。猫や犬、パンダなどがおなかを上にして寝転ぶ姿のことを「へそ天」と言うそうですが、気象予報官の間では古くから、「へそを出して寝ていても間違いなしという天気」のことを「へそ天」と呼ぶらしい。医療の現場にも別の「へそ天」があります。腸に異常が出るとへその形が微妙に変わるそうですが、これに対して、丸くて深く上向きにしっかりついているものを「へそ天」と呼ぶそうです。YouTubeで猫やパンダの動画ばっかり見ているおっさんと気象予報官、お医者さんが3人で会話して「へそ天」を話題にしたら、妙に噛み合わないことになるかもしれません。こういう状況を説明するとき、どうしても「アンジャッシュのコントみたい」と思ってしまう自分がいます。

 タレントや芸能人は不祥事を起こすと消えますが、ほとぼりがさめれば、また知らないうちに復帰します。しかし赤字ローカル路線は、切られてしまえば、なかなか元に戻すことはできまさん。国土交通省の有識者検討会が先日、利用者が特に少ない路線を対象に、国の主導でJRと自治体が存続策やバス転換などを協議するよう提言したことについて、京都新聞『凡語』が書いていました。電車がダメならバスもダメにはならないのでしょうか。仮にバスがダメになったら、そこに住む人たちは、どうやって移動するのでしょう。マイカー?お家に車のある人が日常的に電車を利用していたでしょうか。それなら都市に引っ越せばいいのでしょうか。パンがなければケーキを食えばいいのでしょうか。その昔、飼っていたハムスターを死なせてしまった彼氏が彼女に対して「違うのを買えば(飼えば)いいやんか」と慰めたのを思い出します。

 子が保育園に通っていた頃、「きかんしゃトーマス」が好きでした。園のお友達と一緒にみんなで歌っていたのが「線路は続くよどこまでも」。

せんろは つづくよ どこまでも
のをこえ やまこえ たにこえて
はるかな まちまで ぼくたちの
たのしい たびのゆめ つないでる

赤字ローカル路線は旅の夢を繋ぐことも許されないのですか。私はあの歌の間奏の「ランラランララン」の続くところが大好きです。あの電車に揺られガタゴトガタゴト、ちょっと不安な気持ちもあるけれど、それに勝る旅への期待の込められた「ランラランララン」です。朝日新聞『天声人語』によると、明治時代、富国強兵のかけ声とともに鉄路は延び続け、政治家は地元に鉄道を呼び込み「我田引鉄」と批判されたとも書いています。戦後も鉄道は発展の象徴で、田中角栄ちゃんは「地方の経済発展のためやむを得なければ、鉄道は赤字を出してもよい」と言い切ったそうです。いまは言い切らずに切り捨てます。田中角栄ちゃんが全てよかったとは思いませんが、というか、私は角栄ちゃんについてほとんど知りませんが、当時はもう少し、日本に余裕や夢があったのですかしらね。力が無ければ、メリットが無ければ、四捨五入で切り捨てられてしまうのが「新しい資本主義」なんですか。実は、この言葉の意味もあまりよくわかっていません。だいたいよくわからない政策を進めようとするとき、説明するのがめんどくさいからスローガン的に使ってるだけなんじゃないのか、と、勉強不足を棚にあげがちなアホ代表の私です。「聞く力」もいいけれど「ちゃんと説明する力」も大切なのではないかしら。

 人口減少にコロナ禍が追い討ちをかけ、想定以上に早く赤字ローカル路線への対応が問題になったみたい。コロナ禍は、様々なものを停滞させました。日経新聞『春秋』によれば、大手企業の社員が、一時的に仕事を離れ新興国で社会活動に従事する「留学」ならぬ「留職」というユニークな研修の機会を、あるNPO法人が提供しているそうですが、これもコロナ禍で中断していたらしい。「留職」は今年秋に派遣を再開するそうですが、経済活動、社会活動、文化活動、あらゆる活動が制約を受けたコロナ禍。なんでもかんでもオンラインになりましたし、それは便利な面もありますが、やはり対面の全てを補うためには決定的に欠けているものがあるような気がしてなりません。うまく適応できている人も、本当にうまく適応できているのか、それは錯覚にすぎないのではないか、検証してみる必要はあると思います。対面で碌にコミュニケーションできないのにオンラインで果たしてやれるのか。いや、むしろ、オンラインだからこそ、それが可能になる人もいるとは思う。それでもしかし。いずれにせよ、長いコロナ禍、長い分、今後に活かすために知を蓄積しなければ。それはオンラインの繋ぎ方とか、オンラインでの礼儀作法とか、そんな瑣末なことではないはずです。

 知の蓄積といえば、産経新聞『産経抄』と毎日新聞『余録』は共に、「ダーウィン以来、もっとも影響力がある」とされた知の巨人、ジェームズ・ラブロックちゃんの訃報に触れていました。ラブロックちゃんを有名にしたのは、1960年代に提唱した「ガイア理論」。ガイアとはギリシャ神話の大地の女神。NASAで火星探査計画に加わった時のこと。火星と違い地球の気温が一定に保たれているのはなぜだろうと疑問に思ったそうで、そんな疑問を多様な生物や岩石、大気、海などの力で地球が自己調節しているのではないか、というアイデアにつなげたらしい。当初は非科学的だと批判されましたが、次第に環境保護運動に大きな影響を与えることになったといいます。ガイア理論にあてはめれば、地球は今、熱病に苦しむ患者に例えられるでしょうとは『産経抄』。文末、「ちなみに博士が示した(地球温暖化への)処方箋の一つは、脱炭素の電源である原子力発電だった。」と書いています。「ついでに言うと」くらいの意味の「ちなみに」ですが、『産経抄』が伝えたかったのは、この「ついで」のほうだったのだと思います。

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