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風化した街と流れ続ける事象

都会の中心から1時間。たったそれだけの距離で、景色は風化し、時間はスピードを緩める。

一言で言えば田舎。

だけど、そんな場所で流れる時間だからこそ、気づかされることもあると思った。

少しだけ世界のルールについて考えた、年末の話。

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クリスマスと年末を兼ねて、久しぶりに実家に帰省した。

ポッカリと時間が空いたから散歩に出てみると、古いアパートが鉄骨に覆われている。どうやら取り壊されるようだ。もともと古いアパートだったので仕方がないけれど、野良猫が何匹も住み着いていて、楽園と化していたためにショックが隠せない。

塗装のはげたサビまみれの階段に、一匹のネコがいた。まったりと毛づくろいをしていて、取り壊されることなんて気にも留めていないみたいだ。

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この子をはじめとした猫たちは、これからどう過ごしていくのか。でも彼ら・彼女らは野良猫なのだし、なくなったらなくなったで、哀愁など感じさせない後ろ姿で、さすらいの旅に出るのかもしれない。

勝手極まりない人間の考えをよそに、猫はペタンと腰を下ろしてお昼寝を始めた。日向は暖かいのだろうか。

後から知ったのだが、どうやら向かいのおばちゃんが必死に猫たちにご飯をあげて世話をしているいらしい。勝手に心配していたが、勝手にほっとした。

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カーブミラーが夕陽を反射して、不可思議な模様を道路に映し出している。日陰を照らす、やんわりとした光。ときどき風に揺れる歪な明かりは、子どものころから、なぜだか魅惑的に見えて仕方がない。

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市街地からぬけたこのあたりは、あらゆるものが風化している。

植物、廃車、アパートの階段、ガードレール、カーブミラー、なにかの雑誌工場、一時停止の標識、ローソンだってこの通り。いつも見慣れた鮮やかな看板に、白く不透明でふんわりとした布をかぶせたような、あせた色。小学生の頃にできた新しいコンビニなのだけれど、10年の歳月は思ったより大きなものだったようだ。

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この場所で風化しているのは、何よりも”時間”だと思う。街を構成するあらゆるものが、かつての賑わいを知っていて、過ぎ去ってしまった活気が全身を通して伝わってくる。

そんな場所をふらふらしていると、気分はまるで、一昔前のアメリカ映画の中だ。

浮かんでくるのはハイウェイの果てにある砂漠地帯。くしゃくしゃにからまった枯草と砂ぼこりが似合う片田舎。

名物は老夫婦が経営するダイナー。出てくるのは。家庭料理の延長線上にあるメニューばかりなのになぜか人気がある。都会からわざわざ食べに来る人も年に10人ほど来るほどだ。はたしてこのダイナーの人気の秘密は何なのか……。

場所の例えをしたかっただけなのに、いったい何の話をしているのだろうか。人気の秘密とは何か。自分が一番知りたい。

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2~3年前に姉が川沿いにあるコンビニで「ヤギを見た」と言っていた。自転車やオートバイと同じノリで駐輪場の策にリードが括り付けてあったそうだ。いくら2~3年前とはいえ平成だぞ。おかしくないか。でもこの場所ならあり得るかもしれない、と思う自分もいた。

子どもの頃は童話”やぎさんゆうびん”が苦手だった。気持ちを文字にして綴られた、せっかくの手紙が、読まれずに食べられて永遠に失われてしまったことがひどく哀しかった。そうしてなお、用事を知りたい、と手紙を書く黒やぎさんの気持ちが知れなかった。そのうえ、白やぎさんも手紙を食べてしまい、なんにも事態が進まないことがもどかしかった。

かわいげのない子どもだ。でもこれを書いているときに「もっと食料をあげていればよかったのに」と思ってしまっているから、かわいげは無いべくして無いのかもしれない。天性の才能だ。

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「ゆく河の流れは絶えずして、しかしもとの水にあらず」方丈記の一説だ。鎌倉時代の歌人・鴨長明が”無常”と説いた、随筆に分類される作品。小川の流れで奇跡的に思い出した一説だが、風化した街を散歩して湧いてくる感情は、無常がしっくりくる。

僕が子どもの頃はよく遊びに来たものだが、小学生だった僕は20歳を過ぎた。その間も絶えず、この川の水は流れ続けていたのだろう。しかし同じ状態は2度として存在しない。石の形、苔の生え方、生活している生き物、水温、成分、水がはしゃぐ音、太陽の反射、空気……。

見た目は同じでも全く同じ状態は繰り返されることなく、時間もまた繰り返さない。

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外気は刺すような寒さだが、小川のふくらみではカモの親子が身体を休めていた。水のなかも相当寒いはずだが、あるものはゆったりと揺蕩い、あるものは石のように固まり陽を浴びる。やっぱり時間の流れが狂っている。もう少し動きがあってもいいものを。つられてこっちまで時間がおそくなってしまう。

でもまぁ、悪くは感じないから、いいとしよう。

小川でカモを眺めていたら、飼い犬の散歩している飼い主さんにはなしかけられた。真っ白いふわったした、小柄なプードルが近寄ってくる。

―――この時間は水に太陽がキラキラ光って写真の撮り甲斐があるでしょう。

いやぁ、久しぶりに来たんですけれど本当にきれいで

あら、昔に来たことがあるのかしら?

子どもの頃、よく遊びに来ていて……―――

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時間の流れのなか、たまたま生まれた交わり。けれどこの会話も二度と同じ空気を纏った会話が生まれることはない。

刹那的な感情が湧いてくるのがわかった。

明日には都会に戻る。吉田兼良が方丈記を読んだ環境や、この田舎とは違って、きっとそこでは殺人的な速さで事象に直面し、気がついたときには目の前を流れ過ぎていくのだろう。

その激流のなか、どうか、自分の大切なことまで流してしまわないように。

陽が落ちて低下した気温は、まるで細かい刃物のように肌を刺さる。鴨の親子はいつのまにかいなくなっていた。


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