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偶然の過ぎ方

朝起きて、あっという間に夜。
夕食後にサプリメントを飲む習慣。
あれ、もう飲んだんじゃなかったんだっけ。思うけれどもそれは昨日のことで、今日ははじめての行動。でも頭の中ではどっちだったのだろうと迷ってしまう。昨日と今日の境界線がない。昨日と今日、なにが違う。同じ過ごし方をしている気がした。

単純で、充実した生活。
単純に飽きたとき、いつでも外に出て、メモしておいた行きたい場所に行く。
早朝でも深夜でも行きたい場所に行く。
お腹が減ったら、自分で作って食べる。面倒に感じたら食べてに行く。

昨日と今日と明日の私は同じのようで違うのは気分が違うから。
どうも全部自分の意思で決めているようには思えないのは気分の違いがあるから昨日と今日の行動が同じでもその内容はちょっとずつ違って、その違いに気付かされて興味深く思う。でもその違いすら無くすこともできるのだな、習慣にしてしまえばいいのだと思う。

でもそこまでは、と思う。
単純な過ごし方でも、気分のむらが原因でちょっとずつ生まれる偶然性が楽しいと感じるから。その偶然性はちょっと神秘的ですらあって、いつもなぜ、どうしてと思うくらいに。

玄関のドアを開ける。同じ階の人となぜか同じタイミングでそうしていて、鉢合わせる。ちょっとタイミングがずれてもいいのに。

書店で、全体的にあまり人がいないのに、探している本がある本棚の前にだけ人がいる。棚をくまなく探したいのにその人がいてちょっと遠目から探す。

その人と同じ駅で電車に降りる。行きたい場所まで歩く。その人がずっと前を歩いている。後ろを振り向いたその人と目が合う。歩調も同じくらいで、結局行きたい場所まで同行する形になる。

別にそうしようと思っていないのに、その日のちょっとした行動が重なった後に起きる出来事。人と人の行動が重なるタイミングは不思議でしかない。

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