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自立と誰かのなにか

自立という言葉、考えてみる。
一人で生活していて、自立している。働いて、お金もらって、暮らしてる。

自立している。

でもいつも誰かのなにかに触れたいと思ってしまう。
誰かは、特定の人だったり、誰でもない人だったりする。

誰かといたときのことを一人で思い出す。
特に夜はそういう気持ちになる。
数え切れないほど何回も同じようなことを考えて、思って過ごしてきた夜を久しぶりに過ごすと、人はずっと変わらなくって、この先もずっと変わらないのだなって確信に似たような気持ちを覚えて、たとえ歳が10歳も20歳も上の人でも、感じていることも思っていることも同じなのだなと思う。少なくとも、私と同じようなタイプの人に限るけれど。

誰かのなにかに触れたくて、でも触れられなくてもどかしい。
すぐに家を出て、ちょっと歩けば人はいるのに、もちろんそんな人に声をかけたりしない常識があって、でもたまにそうしてみたくなるときもある。

自分を保つためにはいくつも殻を作らなくては到底生きてはいけないので、何重にも重なった殻は外側からはもちろん、私自身でも破ることができなくなっているような仕方にない感覚。

あっという間に変えられないことを少しの経験でだめにして、いつまでもそこにい続けてしまうことほどつまらないことはないのにな。頭ではわかっていても、どうしてもできないことがある。これも何回も思ったかわからない、こういうことを偶然に任せてしまって月日だけが流れていく夜。

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