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こころ

夏目漱石は知っているけれど、夏目漱石が書いた本をそれほど読んではこなかった。でも、明治時代のいろいろなところに夏目漱石はいた。気づいたら寺田寅彦も内田百閒も芥川龍之介も、夏目漱石の門下生だということに気づいた。司馬遼太郎が書いた坂の上の雲を読んでいても、そこには正岡子規との交友関係が書かれていて、そんなことから夏目漱石への興味はじわじわと湧いていった。

私が生まれた頃から夏目漱石は千円札の肖像画で、気づけば子供の頃から福沢諭吉より、新渡戸稲造より最も頻繁に顔を合わせることが多かった人だった。意識しないほど私の生活に溶け込んでいたなんて思うと驚いてしまう。こんな形で人と知り合っているなんて不思議だ。知っているけれど知らない人。

初めてしっかり夏目漱石について読んだのは夏目鏡子の漱石の思い出という随筆だった。妻から見た夏目漱石。まったく知らない、歴史上の偉人が一気に人間になった。十川信介の漱石追想を読んで、いろいろな人の記憶に残っている、いろいろな年齢、境遇を生きているときの夏目漱石を知った。自分と重なる部分があってどこか親近感を覚えるようになった。

吾輩は猫である。こころ。これが夏目漱石の代表作のように子供の頃から知っている本で、中学生のときに吾輩は猫であるを読んだ。面白かった。けれど、それ以上には残らなかった。こころは読まなかった。5歳上の姉が読んで、こころは暗すぎる、なんて母に話していたことを記憶していて、影響を受けやすかった私はそれからどこか無意識に読もうという気持ちを窄めてしまったように思う。

暗い本。いま思い返せばその代表格はこころと太宰治の人間失格だった。

私の周りでは少なくともその2冊本は暗く、読了感が悪いとされていた。
なぜそうなのか?を考えずにその評判、読んだ人の感想をそのまま受け入れていた。

大学生のとき、人間失格を読んだ。
きっかけは、冨永昌敬監督のパンドラの匣を観たことだった。それまで太宰治を意識しなかった私はパンドラの匣の原作を読み、一気にのめり込んだ。それまでなぜ読んでいなかったのかと思わず自責の念すら覚えてしまうほどに、20歳そこそこの私のこころの鬱屈とした気持ちややり場のない焦燥感や不安を受け止めてくれるほどの共感をもたらしたのが人間失格だった。大学の講義室で、講義が終わった後も昼休みのあいだ席を離れて移動するのが億劫なほど先を読み続けたいと思ったことがいまだに記憶に残っている。

それからしばらくたって、私はいよいよこころを読もうと思い立った。

太宰治の知る限りの本をほとんど読んでしまった私は、さらなる読書の冒険に味をしめた。こころはその試金石だった。

けれど、人間失格のように私の心に入り込んでくるものはなかった。

私と同じような世間のなにも知らない書生だった私は、私のことしかわからず先生の気持ちを十全と読むことができなかったのだと思う。

それからも、夏目漱石の本は散発的にいくつか読んで、いくつか好きだった。


こころをもう一度読もうと思ったのは、もう先生と同じような年齢になっているだろうと思う頃だった。書生だった私は社会に出て、仕事をして稼いだ金で自分を養っていた。仕事をする傍ら、恋愛も経験した。そういった経験をしたあと私は一切の人との付き合いを断つようになっていた。人との関わりというものに辟易してしまったということが一番だった。あからさまではなく、徐々にそういう方向へ舵を切ったこともあって、その生活を特に雲なく手に入れることができた。しかし不思議なことで、その生活をいくらか続けていると、それでも良いのか?という自問が生まれてくることを知った。

ちょうど、こころの先生のような生活を私はいましているのではないかと。

出先の電車の中でふとそう思った。
こころの本は一冊持っているけれど、それは実家にあるものだからすぐに読むことはできない。自然と本屋に赴き、こころを手にとって購入した。

適当な喫茶店に入り、すぐに読み進めた。

読むのは2回目だった。けれど、まるで初めて読んだかのように、私はその内容を知ったふりをして忘れていたように新鮮にページをめくって読み進めた。

先生がなぜそのような振る舞いをするのか、心に染み込むほどに理解できるような感情を覚えた。そこにいる私はただのストーリーテラーでしかなく、この本の中心にいるのは先生であるとはっきりと認識した。

大学生のときに読んだ感覚とはまるきり違っていた感情を持った。

あまりに長すぎる手紙。その手紙を書かざるを得なかった、書く相手を得たことへの救いのような感情。いずれの描写にも自身の感情が投影できることに驚いた。

生きた年月だけではどうしようもない、歳をとったからどうということではなく、経験したことが積み重なると人は共感する幅を広げることができる。

孤独でいることが怖いから、共感するほどの人がいないから、人は小説や映画や詩や音楽を読んだり、観たり、聴いたりして心のよりどころを見つけるのだろう。

いつの時代も人である限り変わらないことなのだと思う。
ますます夏目漱石という人に興味を抱いた。

それを認識できたことをここに書いてみようと思いました。

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