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歯車

歯車。
芥川龍之介の歯車を読んだ。久しぶりに。十何年ぶりに。
はじめて読んだとき、わからなかった。
飛び飛びに進む内容。印象、拘り、眠れないこと、見えないもの。小説を書く人、小説家はこういうものを書くのか、思った。
本の中にある世界の、それを書いた人の代表作とも言える本で、その人は人生を終えるタイミングでこういう小説を書いたと、そういう認識で読んだ。

いま読んでみると。
その内容の半分くらいがたぶんわかった気がした。
その人のその時の生活の実情を知らない。その人ではない。でも、恐れているものが何となく分かる。怖い感覚がわかる。人を怖がる感覚がわかる。そういう感覚の連続の上に理解が成り立つことがわかる。

話しても仕方がない感覚。

東京で生活する感覚。

それくらいしかわからないけれど、苦しい感覚の共感が成立する。
どうしてこんなに苦しいんだろうと、思う。私がなにをしたんだろうと思う。それを真っ白な地点から見るのではなく、いまではそれを考察するのに十年近い歳月が手元にあるから、歯車を読んでこれほどに、休日の一日を費やすほどに自省することができるのかもしれない。

この小説が書かれてほとんど100年が経っていることを知る。
すごいな。
その一言で終わらせることがどれだけ臆病になるかわからないほどに、打ちのめされるほどに、100年経ってもなお生きるということに悩む人間はいるらしい。それが自分であり、そういう人はもっといるのだろうと思うけれど、そういう人を私は知らない。

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