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寒くても考えるこれから

ふわふわの起毛ブランケットで全身を包みながら、好きな音楽を部屋中に響かせなて、本を読んだり雑誌を読んだりパソコンを開いてネットを見たり、ここは私の王国だと自負するような自堕落を極めた空間を作り出した彼女。
そんなことを3日も続けていると、いつまでもぬくぬくと部屋の中で溶けたような状態でいるのはよくないのではないか、となんとなく怖くなって横断歩道で自転車に追突されたり、傘置き場から傘がなくなっていたり、レジの店員にあからさまに嫌な態度を取られたり、なにかしらの罰が当たるんではなかろうか。

それはいやだ。悲しすぎる。

もうここにいてはいけないと一念発起してもはや体の一部と成り果てたふわふわブランケットを泣きながら体から引き剥がした。

こうなるとなにをしようか、ともかく窓を開けるのだ。
この3日間の間にいろいろなものが濃縮され、もう凝縮に凝縮を重ねて意味があっているのかはまったくわからないが濃縮還元状態といえよう部屋の空気を入れ替えなければ決して先には進まないことを彼女はこれまでの人生経験でなんとなく自覚していた。

窓を開ける。ああ、なんかすっきりした空気が入ってくる。いい匂い。
部屋に充満していた濃縮還元が目に見えるように網戸をくぐり抜けて外に流れ出ていくようだ。これが師走。これが私の年末。青い空。太陽を浴びて白く輝く建物。道路を行き交うトラックたち。王国から地上を眺める彼女は、改めて世間と隔絶した自分のライフスタイルに少しの恐怖を覚えた。これでいいのか、私。

いや、いい。それでいいのだ。

彼女の信条は選択に責任を持つこと。その責任の基準は自分が満足するかどうか。
仮に自分が満足しない選択を強いられた際には、恥も外聞もなく投げ出し、逃げ出すことをしてもいいという内容となっている。自分が納得して選択した以上、それが途方もなく間違った結果、恥ずかしい結果になってもそれを甘んじて受けなければならない。別に座らなくてもいい距離の電車の中で、たまたま目の前の席が2席相手、座る選択を選んだとき、たとえ体重100キロはゆうに超えるような巨漢男性が隣に座ってきたとしても、目的駅に着くまではぎゅうぎゅうの状態でそこに座り続ける。

選んだけれどなんか違う感じだから、やめた。

彼女はそんな無責任な行動が大嫌いだった。どうしてか、なんだか往生際が悪いと思ってしまうのだ。それに、一回それをしだしたらただでさえ緊張感のない毎日はさらに拍車をかけてだらしなくなり、もはや楽しめたくなる。生活上で起きる一か八かの小さなかけに、人生をかけるくらいのことをしてもいい。本気でそう思っているのだった。

しかし、さむすぎる。。



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