心の病と心臓の病
9月18日。連休の最終日。父は入院中の母が気になってしょうがないようだった。あまりにも心が衰弱してしまっている。そこに石灰化した心臓の血管というリスクが重なる。ぼくはまず自分自身を休ませると決めていた。だが、父のことを放っておいて心が休まるほど強い心臓は持っていなかった。
父を少しでも元気づけるため、母と面会した動画を録って見せようと思いつく。本人を連れていけたらよかったのだが、体調が悪く見送った。いざ面会してみると、母は驚くほど回復してきていた。すらすらと話ができる状態で安心した。食事もしっかりとれているという。なので、体調の話はそこそこに、家事のことで質問したり、いとこたちとの動画を見せたりした。
帰宅して、動画撮影した母との会話を父に見せる。すると、かなり安心した様子で涙を流しながら動画をじっと見つめていた。
「安心したよ、ありがとなあ」
こんなに弱々しくなった父の姿は初めて見た。ぼくが毎日見ていたのは、テレビで野球やワイドショーを見て、声をかけたぼくの方を見向きもしない背中だけだった。ぼくがうつ病になった時は泣かなかったよなあという言葉は飲み込んでおく。敬老の日としてできることはしたと思っておこう。
9月19日。目覚めると、父から留守電が入っている。
「救急車で病院に来ました。今から心臓のカテーテル手術を受けるからな」
夢か?!と思うほどの急展開だった。後で父に確認したところだと、8時に介護タクシーで病院に向かうつもりが、あまりに調子が悪くなって6時に救急車を呼んだらしい。ぼくは睡眠薬の効果もあってか完全に眠っていて気づかなかった。家の前に救急車が来て気づかないとは──。
手術は無事に成功して、父から連絡が入った。ほっとしたし、むしろ自分が立ち合いに行かなくてもいいんだと。今までの父ならぼくを起こしてどうにかしてくれと言ってくるところが、自分の判断で救急車を呼んで病院へ向かってくれたのはありがたかった。
そして、この日はぼくの精神科通院日だ。いつも通うのは火曜の夕方。月に一度の通院なのに、なぜかぼくの欲しいCDのフラゲ発売日と重なっているので、行く直前に予約していた月詠み『アナザームーン』を購入。ここのショップの店員さんとは音楽トークをよくしている。ぼくの百倍くらい音楽に詳しい店員さんで、いつも勉強させてもらっている。知ってるアーティストのキーワードが重なって響いていく会話がとっても楽しい。
さて、精神科では最近あったできごとや体調を報告した。普段は体調と薬の増減の話だけするようにしている。生きづらさのことを相談したりしたこともあったが、共感が得られずにすれ違うことが多くて疲れてしまった。話が長くなると他の患者さんの待ち時間を増やすことになる。ただでさえ1時間待ちは当たり前。そこでぼくは、精神科医はあくまで病気を診断して治療方針を立ててもらい、それに合う薬を相談して処方してもらう役割の人として、なるべくプライベートの相談を避けるようにした。
しかし今回はそうもいかない。両親の入院と精神状態の悪化が重なっているのは明らか。ということで、順序だてて報告することにした。この時はぼくの顔色も声も疲れの色が濃く、先生は静かに聞いてくれて共感してくれた。また、訪看を今だけ増やすのもいいのではないかという提案もいただいた。家事などを一緒にしつつ、生活力を養うにはいいかもしれない。それに加えて、吐き気が続いていたので頓服の吐き気止めも処方してもらうことに(ドンペリドン錠)。
やはり時間が押してしまい、面会時間には間に合わず帰宅。滅多にない一人きりの実家。心細さはあるけれど、両親がいた頃も独りだったと思うので、夜の空気をゆったりと味わった。あと、音楽やラジオを流しながら家事できるの楽しいな!
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