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“よろづのもの”は変化する 伊邪那岐命 ことの葉綴り。其の八四

禍津日神(まがつひのかみ)

こんにちは。週末の午後、「ことの葉綴り。」のひとときです。
葦原中つ国に戻ってこられた伊邪那岐命さまは、
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で、禊をされました。
(ひむかのたちばなのおどのあはぎはら)
身に着けたものをすべて脱ぎ去り、
死者の国の穢れたものを清めていくと、
そこからは十二の神々が誕生しました。

上流は流れが速い。下流は流れが遅い。

そこで伊邪那岐命さまは、
上流と下流の間を取り、中流の瀬の水中に潜られて、
我が身とこころについた穢れを洗い清められました。

そのとき、意外な神が生まれます

さて、どんな神さまだと思いますか?
また漢字からイメージしてみてください。

八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と、
大禍津日神(おほまがつひのかみ)

禍(わざわい)
最近では、「コロナ禍(か)」とも使われていますね。

そうです。禍日神(まがつひ)といいます。
人々に災い・禍を起こす神なのです。
穢らはしい黄泉の国に行ったときの、
汚垢(けがれ)より成れる神とあります

八十は、とてもたくさんのという意味。
大は、その威力がすさまじい

人々の暮らしを不幸にすることをつかさどる神。

ええ~って感じですよね。

世の中のよろづのもの(万物)のありとあらゆる
凶悪事邪曲事(あしきことよしまなこと)は、
すべて、すべてこの禍津日神のみ霊が
荒ぶることで起こるのです

とんでもないですよね~。

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直毘神(なほびのかみ)

でも、ご安心ください。

神話ではこう、続いていきます。

次にその禍を直(なほ)さむとして、
成れる神の名は、
神直毘神(かむなほびのかみ)

なんと、この禍を直そうとして
お生まれになった神様たちがいらっしゃる
のです。

神直毘神(かむなほびのかみ)さま
次に、大直毘神(おほなほびのかみ)さま

この二神は、禍の凶事を吉事に直すことをつかさどる神。
清く明るく清明な状態に直してくださる!!!
悪いこと、凶を、よい状態、吉へと
”直して“変えてくださる神さまで
す。

ありがたい!!


次に、伊豆能賣神(いずのめのかみ)さま
禍(まご)を、神直び(かむなおび)、
大直(おおなお)びに直し清めた
直く清く、明るくなられた神さま
のこと。

さらにありがたい。うれしくなります。


以前も書きましたが、


日本の神さまは、
「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)きもの」(本居宣(もとおりのり)長(なが))
世の中の、常であるものとは違って
計りしれない不思議な能力を持たれた
自然の働きや、存在に神さまを見てきました。


禍も、“かみ”になるのも、日本神話ならではです。
そこは、とってもユニークで
なんだか豊かな気がしませんか?


禍や悪しきもの、汚らわしきもの、
それも神としている

そして、禍や悪を、ただ悪で、拒否したり、
“ないもの”とはしていません
拒否していない
ちゃんと、存在を認めたうえで
それを変容させて、吉へと転換させる神さまがいる

すごいと思います。

善と悪
光と闇
吉と凶

分離ではなく、おおいなるものの中で溶け合い、
変換されていく。

陰極まれば陽に転ず
清濁併せもつ。

そうです、変わることができる

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よろづのものは、すべて変われる。

神さまの観念も、すごく太っ腹。

伊邪那岐命さまは、
黄泉の国の穢れを清めるために
何度も何度も
清らかな海にもぐられ
禊をされました。

身についた邪を一つ一つ洗い流し
その都度、そのときに経験した
恐れ、不安、怒り
浮上してくるこころの闇やシャドウ。
それも、一つ一つ清められて
そのたびごとに、神さまが誕生していく

まさに、伊邪那岐命さまの、心の旅のプロセス
ブレイクスルーするごとに
「突破」するごとに
殻を破られて、スケールも大きくなっていく。

神話『古事記』のこの「神々の化生」のくだりには、
伊邪那岐命さまの神としての
禊祓いによる
変化、変容、超越が描かれている気がします

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私たち人間も、同じです。
穢れても、清め祓いができる。
闇の中にも光は射す

不幸なことばかりが続くわけじゃない。
その経験から、学び成長し
幸せを味わうことができる。
一つ一つ、見つめなおしてみると
そこに光があたると
それまでとは、違う視点で
過去の経験を感じていきます

けっして、一段飛ばしはできなくて。
一つ一つ
一歩一歩
自分と向き合う
その過程が大切

そして、気が付くと
こころの中の邪が
清められていく……


そう思うと
希望が持てる気がしませんか?

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―次回へ

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