我が身とこころを浄化し癒す、禊 伊邪那岐命 ことの葉綴り。其の八六
伊邪那岐命の禊には、癒しの道筋が。
おはようございます。新しい一週間の始まりですね。今週もお元気でお過ごしください。“サボリ屋”の私も、元気に「ことの葉綴り。」に向かいます。ありがたいことです。
黄泉の国で着いた穢れを
禊で清め祓われた伊邪那岐命さま。
そして、いよいよ「三貴神」さまたちが誕生されます。
と、その前に、今日は伊邪那岐命様の
死者の国からの甦りとなる「禊祓」のくだりからも、
私たちが感じ活かせることもとても多いな~と、感じたので
それを紹介したいと思います。
なかなか物語が先に進みませんが、
どうぞおつきあいください。
黄泉の国から脱出し逃げ切って
ご自身の生きるべき場所
葦原中つ国に戻られました。
自分が経験したこと、我が身についた穢れの禊をしようと
決意されます。
身についた穢れ汚れを一つ一つ禊いでいくことで
そこから、新たな神さまが誕生しましたね。
私には、この禊祓いで、御身とおこころが清められていく道筋は、私たち人間でいうとことの
「癒し」の道筋ではないかなと、感じたのです。
人間、誰しも不調なときがあり、うまくいかないときもあり
悲しみにくれることもあり、喜びに沸きたつこともあれば、
落ち込むこともあり、有頂天になることもある。
人生には、波はつきものです。
運気だって、そうです。
それが、自然の理。
いいことだけの人はいませんし
悪いことだけの人もいません。
ただ、人は、この波が上向きのときは、“いい”けれど
下降線をたどっているときには、
“ダメだ!”と、自分を責めたり落ち込んだり
“なんとかしなきゃ”と焦ってしまいがちです。
でも、もしかしたら、自分が今、そんな波の下降線だと思うとき
この伊邪那岐命さまの「禊祓」が役立つのではないか
と、ふと思うのです。
思い出してください。
伊邪那岐・伊邪那美さまが初のご夫婦神になられたとき
最初の赤ちゃんが成長せずに流れてしまい悲しまれ
高天原の天津神諸々に、ご夫婦神で相談にいかれました。
けれど、伊邪那岐命さまの人生(神生)のいちばんの苦難ともいえる黄泉の国で、妻と別れ、死者の穢れをまとったとき、
命からがら、葦原中つ国に戻られたとき、
再び、高天原にご相談にいってもいいはずですが
伊邪那岐命さまは、そうはなさいませんでした。
ご自身の恐怖、不安、恐れ、悲しみ、孤独
どれも、すべてご自身で受け止められて
日向の橘の小戸の阿波岐原におもむかれて、
禊をされました。
愛する妻と産んだ、葦原中つ国の美しい自然の
海、空、陽ざし、砂浜、波光、樹々、貝殻……
こころが元気をなくしたとき
疲れ果てたとき
自然の美しさ、雄大さは
私たちを包み込んでくれます。
海の海水が、流し去ってくれます。
陽の光を見あげたくなります。
自然の美しいところが
自分を“よみがえさせてくれる”場所だと
伊邪那岐命さまはご存じだったのしょうか。
そして、自然の中で、
ご自身が黄泉の国から“持ってきたもの”を
一つ一つ、手放していく。
その都度、浄と不浄の「境」ができていき、
我が身を守ってくれています。
海底の真っ黒な石は“宝石”に転じる
裸になられてから
海水で、お身体の汚れ・穢れと
こころをも清められていきます。
海底に潜っていく。
私は、「癒し」とは、意識の底に押し込んだ
自分が目を背けて見てこなかった、自分の“一部”
恐れ、怒り、悲しみなどを
その人にとって、もう明らかにしても
見ても大丈夫、となったときに
意識化されて浮上してくるのではないかという気がします。
これまで海の底で眠っていた石ころ。
真っ黒で自分の“闇”だと思っていたこと。
それを、そのタイミングで手にとって
どんどん海面へと上がっていき
太陽の光が差し込むと
あれ? 真っ黒だと思っていたけれど
キラキラ光る石だった。
見てはいけない、見たくないと思っていた”闇“は
光を浴びると、
きれいな宝石だった。
その石に閉じ込めていた、悲しみ、恐れは
そのときに、溶けだしていく……。
なぜか頬から涙があふれていく。
優しい、慈雨のような涙が……。
それが私たちの「癒し」の道筋のように思います。
伊邪那岐命さまは、海底、海中、海面で
なんどもなんども、禊をされて。
決して、焦ることはなく
ほんとうに一段階一段階と
丁寧に・・・・…。
波の曲線をイメージしてみてください。
「どん底だ」と、思ったときには
底に到達したら、あとは浮上していくのです。
陰極まれば陽に転ず
まさに陰極まれば陽に転ず!
何がいいたいかというと、
私たちが、人生の困難な時期にあるとき
自分が、今、波の曲線のどのあたりだろう?
そう感じてみるのも大事な気がします。
波の下降線にあるとき、
人は、下降することに、抵抗します。
でも、この波の曲線は変わらないとするなら、
焦り抵抗しても、状況はかわらず
よけいに息切れもしてしまう。
自分が今は下降線かなと思うときこそ、
一日一日を
なんとか無事に
丁寧に生きてみる。
自分のケアをして、
底に到達する
「時を待つ」。
自分自身が、自分とつながり労わる
自分を慈しみケアする。
それがとても大切だと思うのです。
今はネット社会ですが、SNSや
情報に惑わされるのをやめて
いったん、情報の“断捨離”もして、
自分と向き合い優しくケアする。
どうケアすればいいの?
そう思われる人も多いかもしれません。
現代は、”休む“ことにも知恵が必要なのですね。
長くなりました。次回は、自分を労わり“休む”いくつかの方法も
ご紹介したいと思います。最後までお読み下さりありがとうございます。
ー次回へ。
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