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亡き皇后の遺言 垂仁天皇後編1神話は今も生きている ことの葉綴り。三一八

本牟智和気王(ほむちわけのみこ)の眼差し


こんにちは。東京は初雪が舞ったようで、寒い日が続いておりますね。私は今日もお仕事終わり「ことの葉綴り。」に向かいます。

これまでの「ことの葉綴り。」神話のまとめはこちらです!
昨日まで綴っていた“もの言わぬ皇子” 本牟智和気王(ほむちわけのみこ)のマガジンも、新たに加わりました

女系社会から男系社会へという、大きな時代のうねりの変革の”狭間“で誕生した本牟智和気王(ほむちわけのみこ)。
“もの言わぬ”中、どんな視点で、どんな思いで、この世を見つめていたのでしょうね。
私には、その眼差しは、深く、悲しく、優しく、静かな強さにあふれていたのではないだろうかと感じられるのですが……皆さん、いかがですか?

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沙本毘賣(さほびめ)の遺言


さて、今日からは、新たなお話となりますが、
第十一代の垂仁天皇の御代の物語です。

物語は少し、さかのぼります 

第十一代、垂仁天皇こと、伊玖米入日子伊沙知命(いくめいりびこいさちのみこと)は、七人のお妃と、御子は十六柱と、妻も子も大変多かったのです。

最初の皇后は、寵愛した沙本毘賣(さほびめ)でした。
この皇后は、皇子の本牟智和気王(ほむちわけのみこ)を生んですぐに、赤ん坊の皇子を、夫に託してこの世を去ります。

「私一人で、この皇子をどう育てていけばいいのだ?」
赤子を託された天皇の問いかけに、沙本毘賣(さほびめ)は、
こう言い残しました。

「乳母をおつけください。
そして、赤子に湯を浴せる人を、2人おつけてお育てください。

「丹波の地の、旦波比古多多須美智宇惟王(たにはのひこたたすみちのうしのみこ)に、娘の比賣(ひめ)がおります。
名は、兄比売(えひめ)と、弟比売(おとひめ)という姉妹です。
この二人の比賣(ひめ)は、とても心が清らかです。
どうか、この二人の姉妹を妃としてお迎えください……」

そう言い伝えたのち、沙本毘賣(さほびめ)は、炎の中へと消えていったのです。

垂仁天皇は、生まれたばかりの本牟智和気王(ほむちわけのみこ)の乳母として、沙本毘賣(さほびめ)の遺した言葉の通りに、新たな妃を迎え入れることになりました。

今日はそのお話を。

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新たな妃 丹波の四姉妹の比売(ひめ)

沙本毘賣(さほびめ)の言葉通りに、
丹波の地の、美智宇惟王(みちのうしのみこ)の姉妹たちを、宮中に召されたのです。

沙本毘賣(さほびめ)は、この比賣(ひめ)たちは心が清らかといっています。
ところが、美智宇惟王(みちのうしのみこ)には、娘神は四人いたのです。

上から順に、
比婆須比売命(ひばすひめのみこと)
弟比賣命(おとひめのみこと)こと、沼羽田の入毘賣命(ぬばたのいりひめのみこと)
歌凝比賣命(うたごりひめのみこと)
圓野比賣命(まとのひめのみこと、円野比売とも書きます)
の四姉妹です。

垂仁天皇は、四姉妹の比賣たちと対面します。

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二人の姉と妹の運命

そして、長女の比婆須比売命(ひばすひめのみこと)と
弟比賣命(おとひめのみこと)を、妻として
、本牟智和気王(ほむちわけのみこ)の乳母として娶りますが

「妹二人は、好みではない」
容姿が醜かったことから、比賣(ひめ)たちを、故郷の丹波へと送り返してしまいます

(ここ『古事記』垂仁天皇の系譜のところには、
弟比賣命(おとひめのみこと)こと、
沼羽田の入毘賣命(ぬばたのいりひめのみこと)の弟(いろと)、阿邪美の伊理毘賣命(あざみのいりびめのみこと)を娶して」と、記述されているのですが……。

物語によると、四姉妹となっており……
長女と次女は、娶ったのですが、
その下の妹たちは容姿がひどい、からと、“ひどい”理由で、追い返してしまったのですね

今だと、“問題”になりそうですね!

この追い返されてしまった比売は……。

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―次回へ  幸香 いつもありがとうございます。

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