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許せない怒りの向く先 安康天皇七 神話は今も生きている ことの葉綴り七五六
天神さまのご縁日参りを
おはようございます、朝と昼の寒暖差に着るものに困りますね。
早いもので、弥生三月も二十五日(金)。
暦では、六曜は、「赤口」で、お昼前後が吉。十二直は「開」で、開き通じる日。運を開くために、お参りも吉。祭祀、建築、引っ越し、開店開業、婚礼に吉。二十八宿は「婁」で、契約、引っ越し、旅行、婚礼、縁談、土堀、設備の工事などに吉。そして、ご神事やお参りにいい「神吉日」です。
毎月、二十五日は、学問の神様、菅原道真公をお祀りする「天神さまのご縁日」です。
昼間は気温も上がり温かそうなので、ご縁日の天満宮や天神さんへのお参りいかがでしょう。
<神話の物語マガジン>
最新マガジンは、「仁徳天皇さまの物語」です。宜しくお願いします。
末弟、少年大長谷王
さっそく、神話の物語へ入ります。
運命の歯車が動き出し、悲劇の連鎖が続きます。
第二十代、安康天皇さまは、家臣の「嘘」を信じてしまい、叔父の大日下王を殺害してしまいます。
これが、最初の悲劇でした。
大日下王の子で、七歳の目弱王は、「天皇が父を殺した仇」と知ってしまい、夜、寝首をかき切り殺したのです。そして、亡き父に長く仕えていた家臣都夫良意富美の屋敷へ逃げ込んでいきました。
二つ目の悲劇です。
安康天皇さまは、「殺害された」と、初めて記録された天皇になりました。
天皇の死に、衝撃を受けたのが、可愛がられていた弟の大長谷谷王です。
決して許さぬ! 仇を取ってやる!
少年の大長谷王は、まずは、兄の黑日子王の元へと駆け付けました。
安康天皇さまたちは、允恭天皇の子で、五柱の御子と、四柱の皇女がいました。
一) 木梨の輕王(きなしのかるのみこ)
二) 長田大郎女(ながたのおおいらつめ)
三) 境の黑日子王(さかひのくろひこのみこ)
四) 穴穂命(あなほのみこと)
五) 輕大郎女(かるのおおいらつめ)またの名、衣通郎女(そとほしのいらつめ)
六) 八瓜の白日子王(やつりのしろひこのみこ)
七) 大長谷命(おほはつせのみこと)
八) 橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)
九) 酒見郎女(さかみのいらつめ)
最初に、皇位を継ぐはずだった、木梨の輕王のと、輕大郎女のこと別名、衣通郎女、衣通姫の、実の兄と妹のっ許されぬ恋による悲劇は紹介しました。
そして穴穂命が、安康天皇さまです。
大長谷王は、いちばん下の弟ですね。
で、この末っ子は、兄の仇をうつために、次兄の黑日子王の元へとかけつけたのです。
許さない!大長谷王の憤怒
「兄上、天皇を殺した奴を、どうするのです!ほうっておけません!仇をとりましょうぞ!!!」
憤怒と余りの悲しみにかられ勢いよく駆けこんできた、末っ子に対して、兄の黑日子王は、たいして驚くこともなく、仇を打つことなと、まったく気にもかけていなかったのです。
うむ……そうはいっても……もう亡くなっってしまったのは、こう仕方あるまい……どうするというても……なあ……。
うんとかすんとかいうばかりで、埒があきません。
次兄黑日子王の煮え切らない態度に、驚くよりも、まだ少年の大長谷王は怒りがこみあげてきます。
三番目の悲劇
「兄上、一つに、命を奪われたのは、天皇ぞ!!
そして、一つには、同じ母から生まれた兄弟だ!!! それなのに、兄が殺されたと聞いても、なんとかしようという気持ちもなく、驚くこともないとは、どういうことなんだ――――なんなんだ、その気のない態度はーーー!!!」
あまりの怒りを制御できずに、大長谷王は、次兄の黑日子王にとびかかり、襟首をつかむと引きずりだして、自分の刀を抜くや、そのまま打ち殺してしまったのです。
これが三番目の悲劇です。
一度、動き出してしまった狂った歯車は、まだ止まることはありませんでした……。
―次回へ
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