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神が鎮まる山のご夫婦神 元伊勢六十 神話は今も生きている ことの葉綴り三八八

感謝! おもてなし・ホスピタリティ・恩師、の日

桜の花が美しいですね。こんにちは。三月二十四日は、「おもてなしの日」「ホスピタリティの日」「恩師の日」。
どれも、調和や、心遣い、人とのつながり、感謝を感じる、うららかな春の陽ざしのような、“あたたかさ”がぴったりですね。
さて、今日もお仕事の合間に「ことの葉綴り」で神話の物語を綴ります。
いつも思っているのですが、この「ことの葉綴り」は、神話という古典の文献を綴っているので、真面目で、固く、予想外の奇跡とかもなかなかあるはずもなく……それでも、noteの仲間の皆さんが、立ち寄ってくださっていることが、本当に、本当にありがたいです
私にとって、このnoteで出会い、繋がっている、みなさんが、まさに「おもてなし」してくださる「恩師」のようです!!
ありがとうございます。読んでくださったお一人お一人に、恩返しと、おもてなしの心で、皆さんにとり”最善”のことがありますように!!

これからも、日々、続けますので、宜しくお願いします。

※これまでの1~343回までの、神代~13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。


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飯野高宮こと元伊勢「神山(こうやま)神社」

倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、天照大御神さまを伊勢の神宮にお祀りするまでの「元伊勢」の物語。
大和国、伊賀国、淡海(おうみ)国、美濃国、尾張国、鈴鹿国、そして伊勢の国へ入られました。
(ご飯)がたくさん盛られている飯高しとは、素晴らしい」と、倭姫命さまが喜ばれた、「飯高野宮(いいのたかみや)」。
次に、倭姫命さまが、お立ち寄りになり櫛を失くされたことから「櫛田」と名付けられたお宮。
このどちらも、今も残っています。

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飯野高宮(いいのたかみや)」だといわれているのは、
三重県松阪市の「神山(こうやま)神社」さんと、「神戸神館(かんべこうだて)神社」さんです。
この前のご巡幸地「藤方片樋宮(ふじかたのかたひのみや)」(三重県津市藤方森目)から、現在の地図をたどると約20㎞。
倭姫命さまの時代は、津の港から、船で伊勢湾を南下して、櫛田川へと入られて川を上られたのかもしれません。
この「櫛田川」の名も、倭姫命さまが、櫛を失くされたことから、名付けられました。

また、荒ぶる伊豆速布留神(いつはらふるのかみ)を鎮めてお祀りした阿佐賀山「阿射加神社(大阿坂と小阿坂)」は、津市と松阪市の間になります。

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神が鎮まる山の麓に

神山(こうやま)神社」さんは、松阪市山添町の、櫛田川と、祓川の分岐点、神山(こうやま)の麓にご鎮座しています。
三重県松阪市の櫛田川の流域で、ご飯が沢山も盛られている“飯高”という土地の名前に、ぴったりの、とても豊かな田園地帯。
神話の通り、倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、天照大御神さまを、こちらでお祀りしたことが、お宮の由来です。

神山というのですから、神さまの鎮まる山ということで、もともとは、神山(こうやま)の山頂にご鎮座していたそうです。

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道開きと芸能のご夫婦神

ご祭神は、天照大御神さまの孫神の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)さまが、天孫降臨するときに、ご活躍なさった、猿田彦命(さるたひこのみこと猿田毘古大神)さまと、そのときに出会われて妻となられた天之細女命(あまのうすめのみこと天宇受賣命)さまのご夫婦神
天之細女命(あまのうすめのみこと天宇受賣命)さまは、「天の石屋戸」物語で、裸で舞い踊り、天照大御神さまを、岩屋戸からお出しするときにも大活躍されたことから、芸能の神様として知られていますね。
私は、秘かに、メチャ仕事できる女神、と慕っているのです(笑) 


夫の猿田彦命(さるたひこのみこと猿田毘古大神)さまは、道開き、人生の道を佳きほうへと導き守ってくださる神様。


また「神山(こうやま)神社」は、「安産の神」さまの祠もあるようです。
境内に、JRの紀勢線が通っているんですって。参道を進んで石段を上ると、神明造りの拝殿と本殿が厳かに建っているようです。
お参りしたいですね~。

もう一つの「神戸神館(かんべこうだて)神社」さんは、「神山(こうやま)神社」さんと、倭姫命さまが櫛を失くされたことで創建されたお宮も、どんなお宮なのでしょうね? 
それは、また次回に! noteの仲間の皆さんへ、ありがとうございます!

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―次回へ


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