二千年前 倭姫命様が上陸した跡地に鳥居 元伊勢七四 神話は今も生きている ことの葉綴り四〇三
伊勢の国 伊蘇(いそ)の宮
こんばんは。いつも、ありがとうございます。
「ことの葉綴り」を読んでくださったお一人お一人に、最善のことがありますように!! 感謝をこめて。
若葉が鮮やかになってきましたね。
今日も「ことの葉綴り」のひと時は、お仕事終わりの夜になりました。
ということで、早速、神話の物語に入ります。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、皇祖神の天照大御神の御杖代(みつえしろ)となり、伊勢の神宮にお祀りするまでの物語です。
※これまでの神代~14の神話の物語(1~367回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。新たに「元伊勢 倭姫命さま 前編」の物語もマガジンに「まとめ」ました。
天照大御神さまを鎮め坐す処を求める長きご巡幸を続けられてきた倭姫命さまご一行。
「伊勢の国にいようと思う」
伊勢の大淀(おいず)での天照大御神さまのお告げを受けられた倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、その教えの通りに、大神さまの御鏡と御剣を遷すための、“その小さな祠(神社)”を伊勢の国にお建てになりました。
そして、天照大御神さまをお祀りし、ご神事をとりおこなう、斎王のお暮しになる斎の宮(いつきのみや)もお建てになりました。
その続きをみていきます。
垂仁天皇二十五年丙辰春三月、飯野の高の宮従(よ)り、伊蘇(いそ)の宮に遷り幸(みゆ)きしたまひて坐しまさしめき。
時に、大若子(おほわかご)の命に問ひ給はく、「汝(いまし)、此の国の名は何そ」と。
白(まを)さく、「百船度会(ももふねわたらひ)の国、玉掇(ひろ)ふ伊蘇(いそ)の国。」と、白(まを)して、御塩浜(おほみしはま)並びに林を定め奉りき。
此の宮に坐しまして供(つか)へ奉る。
御水の在る処は、御井(みい)の国と号(い)ひき。
垂仁天皇の御代、二十五年、丙辰の年の春三月、倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行は、飯野高宮(いいののたかみや)から、「伊蘇(いそ=礒)の宮」にお遷りになられて、この地、伊蘇(いそ)の宮に、天照大御神さまを、ご鎮座おさせ申し上げました。
その時、倭姫命さまは、大若子(おほわかご)の命に、「この国の名はなんというのでしょう?」と、お尋ねになりました。
大若子(おほわかご)の命は、
「はい。ここは多くの船が渡り合う国で、水辺では、美しい石を拾うことのできる伊蘇(磯)の国でございます」と、お答えになりました。
そして、大若子(おほわかご)の命は、天照大御神さまにお供えする御塩(みしお)をつくるための浜と、御塩を焼くための薪を切り出す林を、お定めになり、献上いたしました。
倭姫命さまは、この伊蘇の宮で、天照大御神さまにお仕えなさいました。
この御水が湧き出るところは、御井(みい)の国と名付けられました。
伊蘇の宮とされる「磯神社」さん
この「伊蘇(いそ)の宮」と比定されているのが、三重県伊勢市磯町にご鎮座する「磯神社」さんです。
ご祭神は、天照大神さま。豊受毘賣神(とようけひめのかみ)さま、木花佐久夜毘賣神(このはなさくやひめのかみ)さまです。
御由緒にも、倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、天照大御神さまを奉りご遷幸されたのが創始とされています。
倭姫命さま 上陸跡地に鳥居が
この後、天照大御神さまが、五十鈴川の川上へとお遷りになられた後も、このお宮の跡は、守られてきたそうですが、宮川の氾濫により、現在のところに遷られたそうです。
現在も、伊勢市から伊勢湾に流れる宮川と、宮川に平行して流れる外城田川(ときたがわ)の河口近くの中州にご鎮座しています。
外城田川(ときたがわ)の川沿いには、今も鳥居がたっています、これは、二千年以上前、倭姫命さまご一行が、御船にのり、天照大御神さまを奉り、ここから上陸された跡地なのです。
神話は、今も生きている、なのです。
―次回へ
#一度は行きたいあの場所
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