二つの高千穂 神様も“失敗”して成長した ことの葉綴り。百四九
神代からの祖先神
こんばんは。月曜日は朝から仕事の後、この「ことの葉綴り。」のひとときです。いつも、漢字の多い神話の物語に、おつきあいいただき、ありがとうございます。
天照大御神さまは、
孫神の邇邇芸命さまに、「三種の神器」をお授けになり、
そして、信頼寄せる”五伴緒”の天つ神さまを配下として送り出しました。
天皃屋命(あめのこやねのみこと)中臣氏の祖先神
布刀玉命(ふとだまのみこと) 忌部氏の祖先神
伊斯許理賣命(いしこりとめのみこと)鏡作の祖神
玉祖命(たまのやのみこと)玉作の祖神
天宇受賣命(あめのうずめのみこと)猿女の祖神
さらに、
知恵の神、常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)と
天石門別神(あめのいわとわけのかみ)もご一緒にと命じられました。
国つ神の、猿田毘古神が先導して、天降られるときです。
天忍日命(あめのおしひのみこと)と
天津久米命(あまつくめのみこと)の二柱の神も、
弓を入れるりっぱな靫(ゆぎ)という武具を背負い、
腰には、刀の柄の部分が固まりになっている太刀。
天の波土弓(あめのはじゆみ)を手に持ち
天の眞鹿皃矢(あめのまかこや)を沸きにたずさえて
邇邇芸命さまの、先に立って、お仕えしたのです。
この天忍日命さまは、大伴氏の祖先神。
天津久米命さまは、久米直(くめのあたい)らの祖先神です。
って、みなさん、祖先神が多いって思いませんか?
天皇家だけじゃなく、神話の神代の祖先神から、命がつながっている祖先、人たちが、日本にはいっぱいいるのです。
みなさんの祖先も、神さまなのです~って。
意外と知らないですよね。
高千穂峰と高千穂峡
そして、とうとう高天原から、
豊葦原中つ国へと降りてこられた邇邇芸命さま。
筑紫の日向の高千穂のくしふる嶺(たけ)という霊峰に
降りられました。
ここで、みんなに向かいこうおっしゃられました。
この地は、海を隔てて韓国(朝鮮)を向かい合い、
笠沙岬(鹿児島県南さつま市)にまっすぐに道が通じていて、
朝日が、まっすぐに照り輝く国であり、
夕日も明るく輝く国である。
おお~それこど、ここはなんと吉相の良い土地だ。
そして、その土地の地底深くに、たいそう太い宮柱を打ち立てて、
高天原に届くようにと、千木を高くそびえさせた
立派な立派な宮殿をお建てになったのです。
この天孫降臨した「高千穂」は、鹿児島県と宮崎県の県境にある霧島連山の「高千穂峰」と、宮崎県の「高千穂峡」とする説があります。
江戸時代に『古事記』を研究し、『古事記伝』を綴った
本居宣長(もとおりのりなが)は、
「初めに、西臼杵郡の高千穂(宮崎県)に、そして霧島山に遷った」と説いています。
鹿児島県の高千穂峰の山頂には、邇邇芸命さまが
頂上に降りたたられたときに、突き立てられたとされる
「天の逆鉾」がお祀りされています。
この霊峰高千穂峰の登山口には、「霧島神宮古宮址」が今も残っています。
この登山口から標高1574mの山頂の「天の逆鉾」まで歩いて登れるのです。
霧島市には、天孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと=『日本書紀』、邇邇芸命さま)がご鎮座する「霧島神宮」もあります。
宮崎県の高千穂峡は、阿蘇山から流れ出た火砕流が何万年の歳月をかけて、約7キロメートルの断崖絶壁が続く絶景。
真名井の滝も有名です。
私も、宮崎の高千穂と、鹿児島の「霧島神宮」と「古宮址」はお参りしましたが、山頂の「天の逆鉾」まで登ったことがないので、
ぜひぜひ、行ってみた~い!
―次回へ。
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