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二人の王(みこ)憤怒の連鎖 安康天皇六 神話は今も生きている ことの葉綴り七五五

ありがたい陽の光と「スキ」💛

おはようございます。寒い日も続いていますが、今日は太陽が顔をのぞかせてくれそうです。太陽光発電で、電力が確保できるといいですね。陽の光のありがたさを痛感します。同時に、節電は日頃から心がけたいですね。

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また、「19000万回のスキ」を頂いたお知らせがありました。
皆さん、本当にいつもありがとうございます!!
日々、地道に『古事記』神話の物語を綴っております。そこに日々、“お越し”いただき、心から御礼申し上げます。
物語も、下巻となってきています。できる限り精進しますので、宜しくお願い致します。
さて、三月二十四日(木)の暦は、六曜は「大安吉日」万事によい大吉日。何事にもよし! 十二直は、物事を納め入れる「おさん」で、お買い物、五穀の取り入れによしの日。二十八宿は「けい」で、植木の植え替え、建築、祭祀、お参り、旅行、婚礼によしの日。
そして、天は人々を母のように慈しむ「母倉日ぼそうにち」です。今日も皆さんにとって佳き日でありますように!!

<神話の物語マガジン>
最新マガジンは、「仁徳天皇さまの物語」です。宜しくお願いします。

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初めて「暗殺された」と記された大君

早速、神話の物語に入ります。
まるで“ミステリー”のように、
悲しい出来事が連鎖し始めていきます。
きっかけは、第二十代、安康あんこう天皇さまの家臣が欲のためについた「」でした。
誤解してしまった安康あんこう天皇さまは、叔父の大日下王おおくさかのみこを殺めます。
これが最初の悲劇でした。
叔父の妻長田大郎女ながたのいらつめを、皇后として、その幼き子、目弱王まよわのみこも引き取った安康あんこう天皇さま。
ある日、七歳の目弱王まよわのみこは、父の命を奪った仇が、天皇であったことを知ってしまい、夜、寝床へと忍び込み、太刀で、その首を斬り落として殺害してしまいます。
これが、二つ目の悲劇です。

七歳の|目弱王《まよわのみこ》は、その足で、父の家臣であった都夫良意富美つぶらおほみの屋敷へと、懸命に走って逃げていったのです。

御年五十六歳。
安康あんこう天皇さまは、史上はじめて、「暗殺された」と記された天皇となりました。

御陵は、奈良県奈良市「安康あんこう天皇 菅原伏見西陵すがわらのふしみのにしのみささぎ」にお祀りされています。

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兄の死を知った弟大長谷谷王おおはつせのみこの激情

一方、自分を可愛がってくれていた兄の天皇が殺害されたことをしった、弟の大長谷谷王おおはつせのみこは、まだ少年であったといいます。

大好きな天皇の兄が殺された!!?
養い子の目弱王まよわのみこに??!
こんなことが、あっていいのか?!!
けっして許さぬ!!!!!

大長谷谷王おおはつせのみこも、まだ感受性鋭き少年です。
突然の悲しみと、憤怒と、現実の過酷さが入り交じり、どうしていいか、もうわからなくなっていたことでしょう。

きっと、それは、父を殺された子(被害者)から一転、父の仇、天皇を殺してしまった(加害者)となった、目弱王まよわのみこに生まれてしまった情動、恨み、何かに衝き動かされるような衝動と、実は、近かったのかもしれませんね。
憎しみは連鎖してしまう……。

少年の大長谷谷王おおはつせのみこは、まず、自分たちの二人の兄たちに「天皇である兄を殺したものを決して許せぬ! どう、仇をとりましょうぞ!」と、相談を持ち掛けたのです。

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―次回へ


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