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七歳の目弱王(まよわのみこ)安康天皇四 神話は今も生きている ことの葉綴り七五三

温かくマイペースで過ごしましょう


おはようございます。春の三連休、ゆっくりできましたか?
桜も咲き始めていますね。
三月二十二日(火)の暦は、六曜は「先負せんぶ」で午後が吉。万事に平静を心がけたい日。十二直は、物事を危惧する「あやぶ」こちらも控えめにしてよし。婚礼などのお祝いごとは吉。二十八宿は「しつ」で、祭祀、祈願始め、婚礼、お祝い事に吉です。
今日は、冬に戻ったかのような寒さのようですし、連休明けですし、ちょっとマイペースに平静でいるのがいいかもですね。
皆さん、あたたかくしてお過ごしくださいね。
早速、神話の物語に入ります。
<神話の物語マガジン>
最新マガジンは、「仁徳天皇さまの物語」です。宜しくお願いします。

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命を奪った叔父の妻を后に

大切に思う、大長谷谷王おおはつせのみこのために、縁談をすすめた安康あんこう天皇さま。
先方の、叔父大日下王おおくさかのみこさまも、大切にしている若日下王わかくさかのみこを后にという縁談に大喜びです。
けれど、使者となった坂本おみの祖、根臣ねのおみが、結納の印として|大日下王《おおくさかのみこ》が天皇に贈った家宝の美しく高貴なを我がものに横取りをして、あろうことか「大日下王おおくさかのみこは、妹は嫁にやらぬ!と怒り狂った」と嘘の報告を、天皇にしたのです。

それを聞いた安康あんこう天皇さまも、驚きたいそうお怒りになられ、すぐさま叔父大日下王おおくさかのみこを兵士たちに殺させたのでした。

そして叔父大日下王おおくさかのみこの妻である、長田大郎女ながたのいらつめを、皇后として迎えたのです。
……この長田大郎女ながたのいらつめも、安康あんこう天皇さまも父は同じ第十九代、允恭いんぎょう天皇さまです。
 叔父の妻とはいえ、殺すに忍びず姉を皇后としてひきとったようです。
そのとき、命を奪った叔父大日下王おおくさかのみこと、長田大郎女ながたのいらつめの間に生まれた幼き目弱王まよわのみこも共に引き取ったのです。

ここで、私も疑問なことがあるのです。
同じ、允恭いんぎょう天皇さまの御子で、兄の輕王かるのみこと、衣通姫そとおりひめの、許される恋の物語がありました。
『古事記』では、この長田大郎女ながたのいらつめも、允恭いんぎょう天皇さまの御子に名前があるのです。
でも、また同じ母の姉を皇后に迎えたのか? そこには触れていません。
また、履中天皇の皇女であったという説もあるようですが……。
姉を、皇后としたが、妻にはしていなかったのか……。
ごめんなさい。不明です。
物語を続けます。

七歳の御子、目弱王まよわのみこ


あるとき、天皇は、ご神託を受けるために、神殿の神床かむどこに入られて、お昼寝をされました。

そして、皇后に「何か心配ごとはあるだろうか」と、問われました。
皇后は、天皇に「天皇の篤き恵みを頂戴して、何を心配することがございましょう」とお答えになりました。

このとき、目弱王まよわのみこは七歳になられていました。そして、ちょうど、この神殿の床の下で遊んでいたのです。
床の上の神殿からは、母の皇后と、安康あんこう天皇さまの話声が聞こえてきています。

そんなこととは露知らず、安康あんこう天皇さまは、心の中で、皇后に気になっていることを打ち明けていたのです。

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衝撃の真実

私は常に気になっていることがあるのだ。
それが何かといえば、汝の子、目弱王まよわのみこのことだ。
目弱王まよわのみこが成長し大人になったとき、私が、父を殺した仇と知れば、きっと私を許さず、復讐心を抱き反逆を起こすのではないか。それが気になっているのだ。

……幼き御子、目弱王まよわのみこは、この天皇の言葉を聞いてしまったのでした……。

信じていた天皇が、父上を殺したかたきだった!!!?

天皇の告白は、七歳の御子にとって、心から“血を流す”ほどの痛みとなり突き刺さったのでした……そして……。

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―次回へ。


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