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母から娘 斎王として伊勢の神宮へ ことの葉綴り 九二四回

一粒万倍日 大安 昴💛

おはようございます。昨夜の中秋の名月、ご覧になりましたか? 私も夜空を見上げにお散歩に。滞在中の地域は雲も多かったですが、美しいお月さま眺めることができました。
さて九月十一日(日)の暦は、六曜は「大安吉日」。万事によい大吉日。婚礼、引越し、旅行、すべて吉。十二直は「やぶる」で、物事を突破する日。人を説得したり、家のリフォームの取り壊しなど吉。二十八宿は、神仏詣で、お祝い事、婚姻、新規事業によしの「ぼう」。
そして、一粒が万倍に稲穂が実る、吉祥日の「一粒万倍日」。お参り、婚礼、引越し、新たに何かをスタートするのに最適。ご神事やお参り、お墓参りによしの「神吉日かみよしにち」もと、吉祥日がたくさんです💛。お参り、お祝いごと、宝くじ購入をはじめ、みなさま、楽しい休日をお過ごしくださいね。

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伊勢の神宮「斎王いつきのみこ

今から二千年ほど前、伊勢の神宮をご創建されたのは、垂仁天皇の皇女倭姫命やまとひめのみことさまでした。それから、皇祖神の天照大御神さまに、天皇に代わりお仕えする斎王いつきのみこは、神代の時代から、実在が確認できる史実の時代の、南北朝(千三百年頃)まで、続いていきます。

歴代の斎王いつきのみこの物語をご紹介しています。
前回までは斎王いつきのみこから、皇后になり、冤罪により非業の死を遂げ、龍となり祟りと恐れられ、やがて名誉回復されて、御霊神社本宮ご祭神となられ、皇后にも復された、井上内親王いのうえないしんのうさまの、数奇な運命をご紹介しました。

井上内親王いのうえないしんのうさまには、二人の皇子と、流罪に流される中、お産みになった「火雷神」がいらっしゃいました。

他戸皇子おさべのみこは、母の井上内親王とともに皇位をはく奪されて流罪になり、母と同じ日に殺されています。

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|井上内親王<いのうえないしんのう>の娘、|酒人内親王<さかひとないしんのう>

もう、お一人いらしたの覚えていますか?
三十歳で、斎王いつきのみこの任をとかれ、都へ戻り、白壁王(のちの光仁天皇)の后となり、
七七五年、三十八歳のときに、お産みになったのが酒人内親王さかひとのないしんのうです。

この酒人内親王さかひとのないしんのうさまは、その後、どうなられたのでしょうか?

なんと、母の井上内親王いのうえないしんのうさまに続き、ご自身も、父が、光仁天皇にご即位されると、伊勢の神宮の斎王いつきのみこに選ばれていました。

斎王いつきのみこになり、伊勢に「群行ぐんこう」されるまで、野宮にて潔斎の日々をおくられますが、斎王いつきのみこに選ばれててすぐに、母の井上内親王いのうえないしんのうさまと、弟の他戸皇子おさべのみこさまは、天皇呪詛の大罪にかけられて、皇位はく奪、流されてしまいます。

同じ七七二年、母と弟が失脚し罪にかけられた年、酒人内親王さかひとのないしんのうさまは、斎王いつきのみことして、伊勢に入られたのでした。
十六歳ころだったとされます。
天照大御神さまにお仕し、祭祀を執り行う斎王いつきのみこは、母から、娘へと受け継がれたのです。

幽閉された母の井上内親王さまは、伊勢へと旅立った娘の酒人内親王さかひとのないしんのうさまのことを、どう思われていたのでしょうね。

都にいて権力争いに巻き込まれるより、斎王いつきのみことして、伊勢で、潔斎と祈り、祭祀をとりおこなうことは、娘にとり「安全」「安心」だと、思わていたかもしれませんね。

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―次回へ

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