禍津日神に正邪を問う 允恭天皇三 神話は今も生きている ことの葉綴り七三四
鬼宿日+満
おはようございます。朝、窓を開けると小鳥さんたちが元気な声でさえずっていて、春だな~と感じました。
皆さんが見つけた身近な春は何ですか?
さて、三月四日(金)の暦は、六曜は「先負」で、午後が吉。急用や勝負事はさけて、万事平静、控えめにして吉。
十二直は、すべてが満たされる「満」。こちらも、控えめがよし。祭祀、婚礼、お祝いごと、旅行、引っ越し、建築、新規事業、種まきに吉。
月の位置で見る二十八宿の中で、いちばんの大吉日「鬼宿日」。
お時間あれば、春を探しに、お参りいかがでしょう?
明日の五日は、二十四節気の「啓蟄」と、今週末も暦では、お参り日和が続きますよ~(^^)
早速、神話の物語に入ります。
<神話の物語マガジン>
最新マガジンは、「仁徳天皇さまの物語」です。宜しくお願いします。
允恭天皇さま、氏・姓の大改革
父、仁徳天皇さま、長兄、履中天皇さま、すぐ上の兄、反正天皇さまのあと、皇位を継がれたのは、第十九代允恭天皇さまでした。
慢性の持病があることから継承を辞退されていましたが、皇后や重臣たちの熱心な説得をうけたのです。
新羅国の大使で、薬の専門家の金波鎭漢紀武に処方された薬により、病が平癒した允恭天皇さま、精力的に、氏・姓の制度改革に取り組まれたのです。
氏は、家の名前、称号のことです。
姓は、家の階級を示しました。
氏姓とも、朝廷から賜るもので、これまでも、物語に登場した、物部連、蘇我臣などがあげられます。
朝廷の重臣や家臣として、誰がどの家のものか、その家の系譜も大事にされていました。
けれど、時代が進むにつれて、この制度が、自然の流れもあり、また意図的な作為で、氏姓を偽るものたちも現れてしまい、制度が乱れてしまってしまい、このままでは社会の秩序が乱れてしまう時代になっていると、允恭天皇さまは懸念されていたのです。
腐敗の進んだ制度にメスを入れ正そうとされたのです。
でも、どうやってでしょう?
現代のようにパソコンもないですし……。
熱湯の釜に手を?!
神話らしく、かなり驚く方法で、でした。
允恭天皇さまは、大和の飛鳥の味白檮(現在の、奈良県高市郡明日香村大字豊浦の「甘樫丘」)に、言八十禍津日神をお祀りされました。
これは、伊邪那岐命さまが、黄泉の国から逃げ帰り、禊をしたときに、死の国の穢れから生まれた、災いをもたらす神さまです。
この言八十禍津日神の前に、「深湯甕」と釜に湯をたぎらせて、その熱湯の中に、手を入れて、そのものが、正か邪かをご神意を占う「盟神探湯」を行われたのです。
熱湯風呂ならぬ、熱湯に手を入れて、火傷するか、しないか、大丈夫かどうかで、自分たちの名乗っている氏姓が、真実かどうか、ご神意にとわれたのです。
ひょえ~ですね。
ー次回へ
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