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古を稽(かんが)へて今を照らす&二ーバーの祈り 四月十四日 ことのは綴り其の四四

 

偉大なる大国主神さま


おはようございます。更新復帰31回目。テレワークのおかげで日々綴っています。神話の神さまも“失敗”されていた……神さまも神との出会いから成長されていく。意外と知らないことの発見から、生きる上でのヒントになってもらえると嬉しいです。
おうちで過ごす、ささやかな楽しみになりますように。


元祖いじめられっ子だった大国主神さま。
もっとも虐げられ卑しめられていた少年神さまが
母の慈しみ、
妻の嫉妬を乗り越えての夫婦愛、
義父・須佐之男命様の厳しい愛、
親友で相棒の少名毘古那神さまとの友情。
命の恩人の高天原の神さまの見守り。
仲間である、兎、ねずみ、案山子のサポート

多くの神々(人々)との関わりの中で、
次々と襲いかかるいじめや試練、
さまざまな苦難の旅を
出会われた神々たちのご加護と見守りと慈しみで
何度も何度も乗り越えられてきました。

別れも失意も孤独も、己の弱さも経験されて
国造りという一大プロジェクトにも邁進されて、


やがて、失意のどんぞこで、
なしとげようとすることの壁にぶちあたり
孤独を感じられたとき、
自分の中の神聖さである、和魂と向き合われます。

それは、幸せやめぐみをもたらす幸魂。
不思議な力を授ける、ミラクルをもたらす吉兆の奇魂
大物主神さまでした。


あなたは、私である

私は、あなたである


大国主神さまは、深い深いこれまで自分が意識していなかった
魂の深い部分である
ご自身の幸魂・奇魂という“神聖さ”と出会い、
それを心を込めて、お祀りすることで
しっかりと認め
受容されました。

まるで、
天と地が
裏と表が
顕在意識と潜在意識が

一つとなった……。


大国主神さまの、“失敗”して成長するは
とてつもなく、スケールの大きい壮大な
変容・超越のヒーローズジャーニー
英雄の旅の物語でもあったのです。


大国主神さまは、
高天原の天上界の神としての徳も統合し
さらなる偉大な、葦原中つ国の地上の王となられ、
国造りを成し遂げたのでした。

大国主神さまの、ヒーローズジャーニー
ちょうど一月。
ここでいったん、大国主神さまの旅のご紹介は終わります。

その後、大国主神さまには、「国譲り」という大きな大きなことで、ご登場されます……。待っていてください。

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古(いにしえ)を稽(かんが)へて 今を照らす。


『古事記』序第一段
稽古照今(けいこしょうこん)

七一二年に綴られた、「ふることぶみ」といわれる神話の最初の序に、こうあります。

古(いにしえ)を稽(かんが)へて 今を照らす。

昔の出来事や先人たちの訓えから学び、

それを考えて参考にして振り返り、

現在のことがらに照らし合わせて、活かしていこう。

今を生きる指針を見出そう。


1300年前にすでに、さらに古のことを学び、今に活かそうとされていた。
それが、2019年の「今」にも伝わっているのです。

神話の物語から、私たちが生きる指針になること、それを活かして、幸せに生きること。

神話以外にも、過去から学び活かせることもたくさんあります。


中今のこころ

神道には、「中今」という言葉があります。
「ことの葉綴り」其の七


過去・未来を含めた「今」を大切に生きる

この言霊が、今朝は浮かびます。

世界中が、今、対面していること。

過去にも、感染病が猛威を振るい
多くの先人たちの命も奪った。
そこで生き残られた人々が
私たちに、「いのち」を繋いてくださった。

私たちは、その命のバトンを頂戴した。

令和二年の今を生きる私たちが
「今」できることが
100年
200年後の未来にもつながっていく。


私は、ご先祖のお墓を探したことがありました。
祖父と曾祖父までのお墓はお参りしていましたが、
曾曾祖父母のお墓の場所を、父も忘れてしまっていたのです。

うちのご先祖は、平安時代に、神さまとご一緒に
熊野から土佐へと遷られました。
神さまをお祀りするために。

古くなった小宮の近くに
22柱のご先祖のお墓があり、
それは私と父が見つける前に
地域の方が、合葬されていました。

前後して、神社とは少し離れた山の上から
探していた曾曾祖父母と、曾祖父の兄のお墓がみつかりました。
地元の神社の総代さんが
山を歩いて見つけ出してくださったのです。

宮司さんとご一緒に家族でお祀りをしました。

そこに、曾曾祖母と、曾祖父の兄の命日が記されています。
曾祖父の兄の命日 明治四年七月二十六日(1871年)
その母である、曾曾祖母は、息子の亡くなった十日ばかり後に亡くなっていました。

見つけたくださった総代さんも「流行り病で亡くなったのかな」と仰っていました。
想像するに、きっと流行病にかかった息子。それを看病していた母
急になくなったのでしょう。

そして、ご先祖とは別の山に、お墓を建てたのではないでしょうか。
曾曾祖父も、その十五年後、妻と息子の隣に眠るようにお墓がありました。


今年に入り、私は、その曾曾祖父母たちのお墓のことを思い出しました。
調べてみると、この時期、2~3年おきに感染病が流行していたようです。

今も、世界中で、突然家族を亡くされて、最後のお別れもできず、埋葬すらままならない様子がニュースで流れています。

悼む

それができない
どれほどの哀しみなのか……


だからこそ、私たちは「今」できることをする

うつさない
うつらない
リスクを少しでも低くできるように。

「今」できることが
きっと10年、20年
いえ私のように150年たってからでも、
ご先祖の思いや、状況を感じられるように

生き残り、いのちをつなぎ
メッセージは受け継がれていくはず。

今朝は、そんな「中今」について
しみじみ感じています。

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「過去」の先人たち、ご先祖
「今」を共にいきる家族、友人たち
そして「未来」に生きるみなさんへ

すべてに、今朝、手を合わせます。

ありがとう


ニーバーの祈り

そして、今日は(長くなるけど、これも浮かんだので)

神道の祈りではありませんが、

「ニーバーの祈り」を綴ります。


神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気を
われらに与えたまえ。

変えることのできないものについて
それを受け入れるだけの心の冷静さを
われらに与えたまえ。

そして、

変えることのできるものと
変えることのできないものとを
見分ける知恵を
われらに与えたまえ。

ラインホールド・二ーバー(大木英夫訳)


最後に
曾曾祖父母、曾叔父も、市内にあった曾祖祖父母たちも
今は、み~んな一緒に、お宮近くにお墓「ご先祖」奥都城(おくつき)をつくり一つになり。一同和み眠っています。

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―次回へ

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