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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2021年11月の記事一覧

「強い願い」が「苦痛」を連れてくるなら

「強い願い」が「苦痛」を連れてくるなら

望むことも願うことも何もない人生は、少し味気ないかもしれない。
そして、何かを願ったり望んだり強くすればするほど、「そういうこと一切なしにただただ生きていくだけ」よりかは、毎日に張り合いが出てくることも多いだろうし、明日、あるいは未来、つまり「この先」を、もっと楽しみに思えるようにもまたなるかもしれない。「時をこの先へと進めたい」という気持ちも、より湧いてくるようにもなるだろう。

未来なんて本当

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自選雑記集-名刺代わりの10記事-

自選雑記集-名刺代わりの10記事-

雑記ではないんですけど。
これまでに一度だけ、noteの「音楽記事まとめ」に紹介してもらって、閲覧数がグーンと桁違いに伸びたことがあったんです。
ちなみにこの記事でした。

そうか、こういう記事がより注目されたのであれば、これから自分は、音楽に関する記事を多く書いていくのがいいのだろうな。この記事をきっかけに私のページを再訪してくださる方は、音楽の記事を期待して来られるわけだし、……と、その時は思

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「酷いこと」「恐ろしいこと」があるのは仕方ない(いや、仕方なくはないが)

「酷いこと」「恐ろしいこと」があるのは仕方ない(いや、仕方なくはないが)

『世の中の嫌な面のほうがやけに多く目に入ってしまうのはツラいのだが。
でも「知らないままのほうがよかった」とはならないし、それならまだ精神的に余裕のあるうちに知っておきたい気もするし。
「一番最期のほうに初めて」知らされるほうがもっとツラいだろうし。』

という考え方の持ち主なもので、SNS上のニュースですらも、「良いニュース」よりむしろ「悪いニュース」のほうに、敏感に反応してしまう。

世の中の

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この世とまだつながっています

この世とまだつながっています

例えば3年ぶりとか5年ぶりとかでもいきなり
「元気ですか」「お変わりありませんか」
「用はないけど、今何しているの?」と、
メールを送ろうと思えば送れそうに思える相手がいるということは、
それだけでありがたいことだな、と、ふと思ったのあります。
――まあ、でも実際そういうメールを送ることは少ないんですけどね。(笑)
しかし、
「特に用はないが、しようと思えば連絡できる」
そんな存在のおかげで、自分

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「その言葉」の落下地点に

「その言葉」の落下地点に

言葉っていいものだなあ、と、よく思うことがある。

中には、別に自分個人に向けられた言葉では全くないのに、
でも自分の心の「内側」のそれも深い箇所にまでも、
その言葉が届いて、それによって救われたり。
(架空の内容である「小説」等を読んで救われた、っていうのも、こういうことに近いんじゃないかな?)

言葉の、そこがいいところだよねえ、と、しみじみ思う。
そしてそういう「言葉との出会い」がたくさんあ

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「心」を老いさせているのは自分なのか

「心」を老いさせているのは自分なのか

自分より「少しだけ」上の世代の方の、健康状態についての便りもまた、
最近色々と自分の元にも届くようになり。

それにつけても、「夢中になれるもの」がある人は、
どんな身体の状況の時も強いかもなあ、なんてことを思う。
「夢中になれるもの」は
ないよりあったほうが断然いい説を唱えたい自分である。
今そういうものを持っているのなら、
それが多少重たくても死守するべきでは?とすら思う。
――だって、一度手

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類は友を呼ぶがその先がない

類は友を呼ぶがその先がない

確かに「類は友を呼ぶ」とはよく言ったもので。――で、そうなのである、本当に文字通りの「友達の輪を広げましょう」の話ならば、それでまったくもってかまわないと思うのだ。

しかし、例えば政治の世界であるとか、または自分の事に引き寄せて考えれば仕事関連であるとか。
そういう場での「支持」とか「理解」とかの輪を「更に」広げましょう、と意図する時には、「類は友を」方式では、限界があるのではないかと。
(もち

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「暴力になった言葉」は言葉として認めたくない

「暴力になった言葉」は言葉として認めたくない

あきらかに「それってどうなの?!」なものに対してですらも、単なる意見や思想等々の食い違いなら、なるべく「ケンカ」みたいにならないようにしたほうがいいと私は考える。
なので、発する言葉がそもそも「ケンカ腰」みたいにならないように、自分でも気をつけるようにしている。――繰り返しになるが、「それってあんまりではないですか?」というものに対する抗議でさえも、である。(でも自分、これ、時々できていないですね

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