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ショートショート 「3かける3」

西陽が花畑中学校の校舎を橙色に染めていた。
生徒に下校を促す鐘の音が鳴り響くなか、2年1組の担任春日さくらは職員室でテストを採点していた。
と、そこへ学級委員の夏川百合が慌てふためいた様子で駆け込んで来た。

「春日先生、大変です!秋本くんと冬木くんが廊下でぶつかったんです!」
「ぶつかった? 二人はいま何処にいるの?」
「秋本くんは教室にいます。冬木くんは『気分が悪いから駅前の病院に行く』と言い残して校門から出て行ってしまいました」
「分かったわ。とりあえず教室に行きましょう」

ふたりは急いで教室に向かった。
扉を開けると秋本は椅子に腰掛けていた。
春日は努めて穏やかに秋本に話し掛ける。

「秋本くん。気分はどう?」
「頭が少しぼーっとします」
「そう…。簡単な計算ぐらいなら出来そう?」
「ええ、たぶん…」
「じゃあ、3かける3は?」
「6です」
「秋本くん?」
「はい…」
「もう一度聞くよ?」
「はい」
「3かける3は?」
「6です」

夏川はほとんど泣きそうになっている。

「夏川さん」
「はい…」
「秋本くんに肩を貸して校門まで歩いて来て。私は車を回すから」
「わ、分かりました!」

春日は一旦職員室に戻って事故の詳細を教頭に報告してから、小走りで駐車場に向かった。
車を出して校門の前につけると、秋本はあぐらをかいた状態で俯いて座っていた。
夏川は傍にしゃがみ込んで心配そうに秋本の顔を覗き込んでいる。
春日は夏川と協力して秋本を後部座席に寝かせると、夏川を助手席に乗せ、一路、駅前の病院を目指した。

病院に到着してから1時間が経った。
窓の外はもう真っ暗だ。
春日と夏川は待合室のソファに並んで腰掛けていた。

「夏川さん。心配することないわ。きっとふたりとも大丈夫よ」
「そうだといいんですけど…」
「それにしても冬木くん、よくここまで歩いて来れたわね」
「そうですね。あんなに激しくぶつかったのに」
「とにかく双方のご両親に連絡がついたから、もうすぐいらっしゃるはずよ」

と、診察室の扉が開き、秋本と冬木が歩いて出て来た。
付き添いの看護師によると、ふたりとも軽い脳震盪を起こしていたようで、事故直後の記憶は朧げだが、脳波に異常はないとのことだった。
春日はふたりに声を掛けた。

「秋本くん。気分はどう?」
「もう大丈夫です」
「冬木くんは?」
「はい。僕も大丈夫です」
「じゃあ、質問させてね? …秋本くん。3かける3は?」
「そりゃ9ですよ」

夏川は目に涙を溜めて顔をくしゃくしゃにしている。

「じゃあ、冬木くん」
「はい」
「3かける3は?」
「分かりません」

冬木の返答を聞くやいなや、夏川が声を上げて泣き出した。

「夏川さん…」
「すみません。つい…」
「ほら、涙を拭いて」
「先生…」
「なに?」
「良かったですね。ふたりに異常がなくて…」

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