しない理由なんて、ない。
グッと生きやすくなる魔法。
それは、何かを「しない」のに理由はないと、心に留めておくことだ。
「何であれをしないの?」という質問は、珍しいものではない。
どうしてピアスを開けないの?
どうして明日来ないの?
などなど。
どうして「しなかったのか」と聞かれると、いつも答えに困る。
たしかに、意識して何かをしないことだってある。最近食べ過ぎているから、食後のデザートはやめておこうとか。
でも大抵の場合、何かをする理由はあっても、何かをしない理由なんてない。しいて言えば、それをする理由がなかったから、しなかった。
これが、私の言い分だ。
もちろん、そう聞きたくなる気持ちもわかる。「何でしなかったの?」が、気が付いたら口から出ていたこともある。
だからわかるのだが、「何でしなかったの尋問」の裏には、それをするのが普通、もしくは絶対に良いという思い込みがある。
言い換えれば、「何でしなかったの?」はたいてい、「するのが普通でしょ?」「しないなんておかしいよ?」の言い換えなのだ。
もちろん、先生が生徒に「どうして宿題をしなかったの?」と聞くように、その質問がいたって自然な時もある。なぜなら、宿題はやらなければいけないものだからだ。
そして、しないのがおかしいとまでは思っておらず、普通に過ごしていればみんながすることを、どうしてしないのかという単純な興味があるだけな場合が大半だというのも、わかっている。
しかし、その質問が自分の「普通」を押し付けていること、周りと違う選択をした人を、追い込む刃物になりうるということは、忘れずにいたい。
とある女性作家がエッセイで、この魔法について教えてくれた。新しく出した本のインタビューを受けた時のことをまとめたエッセイだった。
「ステージで、インタビュアーの男性は、私になぜ子供がいないのかを聞いたの。どんな答えを渡しても、彼は満足しなかった。子供がいないというのは無視できないくらい不自然で、だから私が必死に書いた本よりもそれについて尋ねなきゃいけないみたいだった。
でも、質問をされたからといって、それに答えなければいけないわけじゃない。彼の質問は、女性は必ず子供を産まなければいけない、そしてそれは公の場で踏み入っていい話題だということを前提としていた。
言ってしまえば、あの質問は、女の正しい生き方は世の中に一つしかない、ということを前提にしていた。女性として正しい生き方なんてないのにね。」
(Rebecca Solnit "The mother of all questions")
もちろん、「なんでしなかったの?」という質問を封じる必要はない。私がアメリカの大学に行っていますと言ったときに、「どうして日本の大学に行かなかったの?」と聞かれても、それが普通だよなと賛同する。
それが、アメリカの大学の良さについて話すきっかけになるのなら、むしろ嬉しい。
でも、上の作家さんのように、どんな答えにも満足してもらえなくて、もやもやすることもよくある。
もやもやする理由は、「本当はそうしたいんだけどね〜」というのが唯一の答えな場合があるからだ。
だいぶ理不尽だ。でも、「あなたの普通を押し付けないで!」と怒る必要はない。
しかし同時に、自分の選択を否定することもしなくていい。ただ、別に理由なんてないと言い切ればいい。
しない理由を答えられないということは、「普通」にとらわれず、自分が本当に好きなものを一目散に選んだということだ。
選ばない理由を並べる消去法ではなく、選ぶ理由をたくさん見つけてこれ!と選ぶことの方が、ずっと素敵だ。
だから、「なんでしなかったの尋問」に押されて、私は間違った道にいるのかな、何か損をしているのかなと不安になる必要はない。 むしろ、みんなが自分の選んだ道を誇れたらいいなと思う。
そしていつかは、「みんなと違うものを選んだなんて最高だね!それの良さを教えて?」という質問が飛び交う世界になれば、もっといい。
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