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短歌と和歌と

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中学生向けに和歌・短歌を語る練習をしています。短歌は初学者。和歌は大学で多少触れたレベル。
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#桜

3月23日 僕の喧嘩と空を染める桜

 ドラえもんドンジャラにはゲームが50個用意してある。その8つ目をやったのかやっていないのかで長男(7歳)と喧嘩した。

 大人組は「やった」で一致しているのだけれど、証拠がないから水掛け論にしかならない。やがて長男の声がヒートアップしてくる。話を聞かずに絶叫する。その姿に「あ、これ自分の間違いに気が付いたけど後に引けなくなってるやつじゃないかな」なんて思ったりした。実際はわからない。

梢から雪

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3月16日 短歌の空欄補充と拾遺集の風と桜

3月16日 短歌の空欄補充と拾遺集の風と桜

 木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社)に「テンプレ化する」という短歌の練習方法が載っていた。名歌に穴をあけ、好きな言葉を入れて複数の歌を作ってみる方法だ。やってみよう。

底に塩ばかり残ったふりかけをいつまでゆかりと呼べるだろうか
                       (平井まどか)

 これを虫食いにする。

〇〇〇〇〇ばかり残った〇〇〇〇をいつまで〇〇と呼べるだろう

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3月14日 息子のハワイと式子内親王の開花宣言

3月14日 息子のハワイと式子内親王の開花宣言

 日曜だ。

 7歳の長男は最近、公園の遊具制覇に挑戦している。去年まで高くて登れなかった塔。足元が不安で渡れなかったネット。あちらこちらの公園にいっては、次々に挑む。 

 大方は制覇できるのだけれど、時々あきらめるものもある。落下と痛みの可能性を想像してしまう場所には尻込みしてしまうようだ。それらを下から眺めながら、訳知り顔で「これは8歳になってからだな」とか批評している。

 今日の公園の制

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3月2日 僕が教師であることと、貫之の木の下風

 十数年前に中学生に現代文を教えていたころ、何を教えるべきか、何で教えるべきか、毎日迷っていた。

 教えることにしたものの一つが読書だった。当時は読書感想文というものに懐疑的で、どちらかと言えばとにかく量を継続的に読ます、ということに主眼を置いていた。そこで担当学年の全クラスに学級文庫を置いたり本を紹介したりしていた。

 読書指導の一環として、毎月課題図書を指定した。そして勤務校では毎月テスト

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2月21日 桜の花の満開の下

2月21日 桜の花の満開の下

 数日前のみぞれなど忘れたように、今日は20度オーバーの春らしい1日。公園には親子連れが溢れている。

爛漫の春ぞ来たると雲雀飛ぶダンリュウザクラ今盛りなり

見渡せば笑顔にあらぬ顔は無しダンリュウザクラ今盛りなり

佐保姫が袖を振るひてありくらんダンリュウザクラ今盛りなり

 満開の桜の圧倒的な「そこにある」という感じには、「なり」と断じるのが似合う。

☆ ☆ ☆

 満開の桜にある種のふてぶ

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2月5日 子を見る僕と桜の中の西行

2月5日 子を見る僕と桜の中の西行

 ふりかけご飯を食べ終えた子どもたちが、次々におかわりを要求する。彼らがお茶碗を突きつけたのは、鯵の干物をほぐす妻の隣で野菜炒めを頬張る僕だった。

 選ばれたことが若干誇らしい。しかし一日の終わりはやはり妻が良いようだ。寝床に来ると、僕は敗北感と安心感を抱く。

僕はただおかわりの人妻に群れる子らを隣のベッドに眺め

 3人くっつけて寝るのはしんどいよね。いつもありがとう。

☆ ☆ ☆

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