3月16日 短歌の空欄補充と拾遺集の風と桜
木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社)に「テンプレ化する」という短歌の練習方法が載っていた。名歌に穴をあけ、好きな言葉を入れて複数の歌を作ってみる方法だ。やってみよう。
底に塩ばかり残ったふりかけをいつまでゆかりと呼べるだろうか
(平井まどか)
これを虫食いにする。
〇〇〇〇〇ばかり残った〇〇〇〇をいつまで〇〇と呼べるだろうか
では、入れてみよう。
まずはコロナ禍関連から。
大人たちばかり残った建物をいつまで学校と呼べるだろうか
まあ今は普通に学校やってますけど。
続いて息子関連。
未開封ばかり残ったチャレンジをいつまで「やってる」と呼べるだろうか
完全にフィクションだ、今のところは嬉々としてやってる。
次は最近の趣味、自作ベーコン関連。
塩の味ばかり残った肉塊をいつまでベーコンと呼べるだろうか
豚の塩漬けの味しかしないんですよね。どうすればベーコン味になるんだろう。美味しいは美味しいけど。
もういいか。練習というより、授業でやってみたくなった。
☆ ☆ ☆
桜の咲き始めた歌を探している。前回は『新古今和歌集』だったが、今夜は古いほうから探ってみよう。
そう思って八代集をめくってみたが、『古今和歌集』と『後撰和歌集』には咲き始めを明示する歌は載っていなかった。はっきりそれらしい歌が載るのは『拾遺和歌集』からだ(『万葉集』にはある)。
吹く風にあらそひかねて足びきの山の桜はほころびにけり
(39 よみ人知らず)
「ほころび」は現代と同じく、蕾が開いていく様子をいう。花のほころぶ様子を歌った歌は古今集にもあるが、それは配列から言って柳の花なのだろうと思う。
さてこの歌、シンプルではあるが疑問は生じる。
なぜ桜は風と「あらそ」っているのか。
なぜ桜は風と「あらそひかね」ると「ほころ」ぶことになるのか。
二つの問いだが、答えは一つだ。平安の歌世界では、雨や風、そして露などが季節の景色を変えた。時雨や露は秋に草木を染め、紅葉をもたらす。風は花を散らして春を終えさせていく。
今回はその風が、桜のつぼみを開かせたのだ。
この風はどのような風なのだろう。春一番のような激しい風か、それとも春風と言って想像しやすい穏やかな風か。
「北風と太陽」ではないが、激しい風なら身を縮めてしまいそうな気もする。ここは心も体も開放したくなるような、暖かで穏やかな風を想定しておこう。
春の風は暖かく穏やかで
あんまり心地が良いものだから、争う気持ちも起きなくて
そうして、人には険しい
あの山の桜は
蕾をひらいちゃいました
なんだか「高嶺の花の口説き方」を暗示しているかのような歌。
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