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娘の「弟を守る」という一言から、見て見ぬ振りはやめようと思った話。

相手ができないなら、手を差し伸べる、

そんなことを当たり前にこんなことができるようになりたい。


3歳娘が、突然、生後6ヶ月の息子に対して、

「いとくんはあさが守る!!!」

と言い出した。


突然のことで「はて?急にどした?」となったが、

きっと彼女なりにいろいろと考えていたんだろう。


娘に聞いてみた。

「あさちゃんさ、いとくんはあさちゃんが守る!って言ってたけど、どうしてそう思ったの?」


「えーっとね、いとくんはまだ歩けないし、ごはんも食べられないし、何か触っちゃったりするし、、、いろいろできないでしょ?だからあさが守ってあげようと思って!」


「へぇ〜確かにね〜いとくんまだなんにもできないもんね!あさちゃんありがとうね!いとくんをよろしく!」


(妻)「あさちゃん、いとくんが保育園行っても守ってくれる?いい?」


「えぇ〜それはダメ!」


「え!なんで!笑」
「保育園に行ったらいろいろできるから?急に厳しいな〜!」


「じゃあさ、いつまでだったらいい?りす組さんはいい?」


「う〜ん、いいよ!りすさんはいいよ!」


「じゃあ、ももさん、オレンジバッジさんは?」


「それはダメ〜!!笑」


「えー!!なんでよー!笑」


「オレンジバッジさんはもういろいろ自分でできるでしょ!だからダメ!」


「あ〜そっか、今のあさちゃんみたいにいろいろできるようになるもんね!そういうことか!笑」


話しているときは面白かったけど、

振り返ってみると、なかなか本質をついたことを考えているな〜と思えた。


息子がまだなんにもできないから、守ってあげる、

すなわち、できないことがある人に手を差し伸べる

ということだよな〜と思えた。


息子はまだ喋れないし、

当然、自分から助けて欲しいなんてことは言っていない。

でも、娘は息子のことを考えて、「自分が守る!」と決めた。


この精神ってすごく大切だよな〜と気付かされた。


別に誰に頼まれた訳でもないけど、

自分が気づいたなら、手を差し伸べる。


一見、当たり前のようなことだけど、

これを当たり前にできている人が自分含めどれだけいるだろうか。


気づいたけど、手を差し伸べないということもよくあることだと思う。

きっと、時間がなくてとか、誰かがやってくれるだろうとか、

ただただ面倒とか、手を差し伸べた後が面倒そうとか、

いろいろ理由はあるだろう。

それも理解できる。


確かに手を差し伸べるということは、

自分の時間を相手のために使う、ということで、

相手のことを思っていないとなかなかできることではない。


気づいたけど、何もしない、ということは、

相手のことを思っていないということに等しい。


まあここは難しいところでもある。

赤の他人に対して、相手のことを思ってというのはなかなか難しい。


でも家族や友人、職場の同僚、取引先、何かしらのコミュニティ、と

何かしら自分との接点がある人に対してならどうか。

そこに対して、自分は見て見ぬ振りをしていないか。


気づいたなら手を差し伸べる、

自分と接点のある人たちに対してそんな気持ちでいられているか、

と思い直された。


自分がめちゃくちゃに貢献するなんて考えなくていいから、

とりあえず話を聞いてみる、とか

そんな小さなことからやってみようと思った。


きっとそんな小さな行動一つから、

娘のような精神になっていくんだろうなと思う。


「気づいたなら手を差し伸べる」

そんなことを当たり前にできるような人間になりたい。

きっとその方が自分も周りもみんなハッピーだろうから。

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