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被害者を責める

犯罪や事故のニュースに関して、被害者を責めるコメントがつくことがありますね。被害に遭われたかたにとってはつらい内容です。

こうした発言がなぜ出てくるのか。言葉になる前の心の動きはどうなのか、考えました。

コメントをつけた人は数あるニュースの中で、まずそのニュースに関心をもったのは確かだと思うのです。コメントしたいと思うほどの強さで。

そしてそのニュースの中のどこに向けた関心なのか、で2つのタイプに分けられるように思います。

①『こんな出来事はあってはならない』と思う、義憤にかられるタイプ。

責められるべきなのは加害者だとはわかっている。それは前提としてある上で、それでも被害を避けられる手立てはなかったかと考えた時、『あぁ、こうしていれば良かったのに、そうしなかったんだな』ともどかしく感じた…のではないでしょうか。

このもどかしさが曲者です。もどかしさは不快感の一種なので、さっさと解放したくなるのです。ここでブレーキがかからず手っ取り早く解放してしまうと、『何でこうしなかったんだ、被害者にも落ち度がある』という表現につながってしまいます。

でも本当に表現したかったのは、『こんな出来事はだめだ』『こんな目に遭う人がいなくなればいいのに』ということなのではないでしょうか。

思いと表現が正しく結びついていないと、話し手には思いもよらない解釈をされてしまいます。

多くの聞き手は言葉になったところから意味を受け取るものです。でも言葉は一部分。背景にある思いまでは伝わりにくいのです。

さて、もう1つのタイプは。。
②人よりも犯罪そのものに惹きつけられる人々。こちらは詳細に書くと誤解を招きそうなので、これ以上はやめておきます。


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