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新時代をどう生きるか。自分の人生に引導を渡すのは、自分でありたい。

平成が終わる。

正真正銘、今日で終わる。

ひとつの時代が明確に終わるというのは、なんとも不可思議な、言葉ではうまく言い表せない、寂しさと充足感のようなものがある。

僕は平成に何かを遺すことは出来たのだろうか。

平成に生まれ、その生まれた平成は過去になる。

その自分の過去は、次の自分へ何を遺しただろうか。

平成を27年間生きてきた。
そして、始まる令和。

僕がもし、次の天皇陛下より長生きする事ができたら、もう一度改元があるだろう。もしかしたら、平成の終わりのように、令和の終わりも、生前退位になるかもしれない。

今上天皇が初の生前退位になるが、これがのちの時代ではスタンダードになるかもしれない。(江戸時代とかの改元は飢饉を断ち切ったりする為とか聞いたことある。)

そう思うと、日本の新たな歴史の始まる瞬間を見ているという事になる。

今上天皇は、国民の象徴である共に、新時代を見せた画期的な天皇としてその名を歴史に遺すことになる。

今上天皇ほどじゃないとしても、自分で納得がいくような何かを、平成という時代の中で、自分の中に遺せたのか。

あと数時間で終わってしまう平成のどこかに、僕の生きた証はあるのだろうか。

平成の終わる日、僕はオーストラリアにいる。

数年前の僕が聞いたら驚くだろう。

「お前、平成終わる時日本にいないよ」

これ中々の衝撃だよね。
だって数年前までは、日本から出るなんて微塵も思ってなかったもの。

それでも僕は平成の最後をオーストラリアで迎えることになる。今から飛行機のチケットを取れば、もしかしたら、5月1日には間に合うかもしれないけれど。(さすがに無理か。)

僕は、平成の27年間を振り返った時に、パッと思い浮かぶ、これと言った遺せたものが無い。

ただ、1日1日を確実に生きてきたと、そう言うことは出来る。

その1日1日が、とても大切で、次の時代に引き継ぐ事が出来るのではないかと、そう信じたい。

いや、そうしたい。

令和の僕がどう生きるのか、平成の僕に推し量ることは出来ないけれど、また1日1日をしっかりと生きていきたいと、そう思う。

そして令和の次の時代へ。
僕らの次世代へ。

何かを遺せる生き方をしたいな。なんて思っても、バチは当たらないだろう。

天皇陛下が退位するように、僕らも自分の人生から退くその日がいつかくる。

そのいつかは、本当にいつ来るか分からない。

それは今夜かもしれないし、50年後かもしれない。

神様だって、そんな事はきっと分からないだろう。

だけど、自分の人生に引導を渡すのは、天皇陛下のように自分自身でありたい。

いつ退かなければならないかも分からない人生、1日1日を確実に生きていく。

そんな生き方をしたいと、平成が終わる僕は思っている。

明日からの、令和の、僕はどう生きているのだろう。

こーた

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