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ただ、在ること。
日常に"ただ在ること"の幸せを噛み締められるようになったのは、旅を始めたからだと思う。
最低限の荷物と贅沢なカメラをバックパックに詰め込んで背中に背負う。旅をしている時の生活用品の一式は、このバックパックひとつに収まるのだ。
旅は非日常だと思う人が多いと思うけれど、僕に撮っては日常の延長線上にあるもの。旅をしている時は僕の日常の全てがバックパックひとつに収まるのだ。
オーストラリアワーホリが1年と半年を過ぎた今、僕の生活は全てバックパックひとつに収まるようになった。それは単純に荷物を増やしたくないという事でもあるのだけれど、必要以上のものを欲する事がなくなったということでもあるのだ。
日本にいた時は、テレビがあって漫画があってゲームもあって服もたくさん持っていて、それこそなんでもあった。それらがあるのが当たり前だったし、無い生活を想像できなかった。
3年ほど前から"ミニマリスト"が流行ってきて、僕自身北欧デザインを学んでいる事もあって、無駄を省きたいなと思っていたりもした。
だけどほしいものは増えていくし、仕事してお金をもらえたら買う事も出来てしまう。欲しいものを手に入れられる状況が当たり前になって、それらがある状態が当たり前になっていた。
でも一歩旅に出てみるとバックパックひとつの中で生活が出来てしまうし、物が少ないというだけでどこかスッキリとした気持ちになる。旅先で「これ欲しいな」って思うこともあるけれど、「でもこれを買って一時的な欲求を満たしても、結局はまた別のものが欲しくなるんだよな」って思えるようになった。
それが良いのかはわからないけど。
そんなことを繰り返しているうちに、僕はもうたくさんのモノを持っていて、それで十分に幸せになれるのだと気づいた。今だって欲しくなるものはあるけれど、じゃあ欲しくて欲しくて死んでしまうくらいかと聞かれたら、答えはNOだ。
今在るものに満足出来ている自分に気づく。
満足は時に成長を妨げるものになりかねない。だけど、僕は今在るもので幸せを感じられる人生を生きたい。(昔からあまり上昇志向が無い。)
欲しいものばかりに目がいきがちだけれど、在るものに目を向けてみると、そのモノが"ただ在る"だけで心が満たされてくるのだ。
そのモノは何かの物質かもしれないし、友情とか愛情とか見えないナニカかもしれない。
生まれたての赤ちゃんは言葉も話せないし、機嫌悪くなると泣くし、大人のように意思疎通もとれないけれど、"ただそこにいてくれるだけ"で愛おしい。
恋人もそうだと思う。付き合い始めたばかりなんかは特にね。ただ一緒いれることが幸せで、あれしてほしい、これしてほしい。なんて思わない。
"ただ在ること"
そんな幸せを僕は大切にしたいです。
こーた
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◽︎ こうたび。
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サポートありがとうございます。今後の写真活動の資金にしていきたいと思っております。写真を通して”幸せを目に見える形に”していきます。