2023/10/22
イスラエルとパレスチナ(ハマス)の軍事衝突が始まった。21日に初めて入った人道支援物資のトラックは20台だという報道。白い布のようなものに包まれた遺体がおびただしい数並ぶ写真。瓦礫や煙で真っ黒になった人たち。真っ黒な人間。真っ黒の陶器かなにかのように見える人は、負傷して生きている人、引き裂かれて死んでいる人。子どもたち。その親たち。など。
そういう報道を見ながら、これは現実なのだと、現地の人の痛みと恐怖はどれほどだろうと考えながら、共感のリミッターをセーブしつつ、私は私の日常を享受している。
私の母は、どんなときにも、苦しむ人に共鳴して「瞬間式惜しまない人」だ。自分が貧困であるにも関わらず、街角で国境なき医師団やUNHCRやUNICEFが募金を募っていると、もう何も考えずに足を止めて、ほぼとっさに「ああ、どうしよう。」と言いながら、戸惑いながら、寄付をする人だ。
そして「こんなことしかできない。」と嘆くのだ。
母のことを父は「ピュアな人だねえ」と嘲笑ぎみに言ったが、母の素晴らしさを私は知っている。そこには損得勘定なんてない。母の行動は、「同じ人間としてどうしたらいいのかわからない!」「自分にできることはないのか!」という衝動なんだ。
そういう母に育てられた私。自分を幸せだと思う。母は私に「人間性」というものを教えてくれた。
私には、できることがない。ないんだけど、まずは知ること。関心を持ち続けること。少額だけど、寄付をすること。そういうことしか思いつかない。たとえそのお金が、直接的に人道支援に使われないとしても。自分の心の痛みを減らすことにすらならないとわかっていても。
心の弱い私は、神様にお願いしている。
「私に、知るに足る勇気をください。」
知ることは、勇気のいることだ。惨状をわずかでも直視しようとするだけで、心が怯える。それでも、私は安全な場所から見ているだけのことだから。知るに足る勇気がほしい。そこから「何か私にできることを」と考えるしかない。知らなければ、見なければ、考えることすら、行動することすら、生まれないのだから。
そこに生きている人たちのことさえ、忘れてしまえるのだから。
私は過去に「自分が苦しんでいることや怯えていること、誰にも助けを求められないこと、追い詰められていること。そのことを誰も知らない。」という恐怖を経験したことがある。
戦争下の混乱とは全く異なる次元だけれども、悪意や暴力、圧倒的な力で、尊厳を脅かされる経験をした。
そういう私が、戦争や虐待に無関心でいることは、自分を見捨てることだと感じる。
なぜかわからないけど、そう感じる。
UNHCRに毎月定額の寄付をしてる。なんの役に立つのか、わからないけど。UNHCRの人によると、誰かの数日分の食料になったり、医療キットになったりするらしい。あるいは、運営費用に。私が誕生日やクリスマスのプレゼントを享受するよりも、誰かの役に立つんじゃないか。そうだったらいい。と思う。たとえそれが、誰かの懐を暖めるために使われたとしても、UNHCRを通して人道支援の一部になれば、なんでもいい。