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聴覚障害のある私にとっての故郷、豊橋聾学校の文化祭に参加して感じたこと

私は、耳が聞こえない人のみが通う筑波技術大学の元学生で、現在は放送大学の耳が聞こえない近藤  史一です。

今回は、私が卒業した豊橋聾学校の文化祭について書きたいと思います。私の結論は、豊橋聾学校の文化祭は2023年11月11日に2019年以来4年ぶりに行われて楽しかったし、感動したし、驚いたし、同時に聾学校の将来に関して心配したということです。以下に詳しく説明します。

まず、豊橋聾学校とは何かというと、愛知県豊橋市にある県立の聾学校です。聾学校とは、聴覚障害のある子どもたちが通う特別支援学校の一種で、幼稚部、小学部、中学部、高等部の4つの部があります。私は幼稚部から高等部までこの学校に通っていました。聾学校では、手話や読唇法などのコミュニケーション方法を学び、聴覚障害に関する知識や技能を身につけます。また、一般の学校と同じように、国語や算数、理科や社会などの教科も学びます。

私が卒業したのは2017年3月のことです。その後、私は筑波技術大学に進学したのち現在は放送大学の心理と教育コースに進学しました。私はこれらの機能を使って、聴覚障害のない人ともコミュニケーションをとることができます。Appleの製品やサービスについて書くことで、私は自分の経験や考えを伝えることができます。

さて、話を豊橋聾学校の文化祭に戻します。文化祭とは、学校の一年間の成果を発表する行事で、生徒や教員、保護者や地域の人などが参加します。豊橋聾学校の文化祭は、毎年11月に行われます。文化祭では、各部門や学年やクラスが展示や発表を行い、また、学校の畑で育てた野菜や果物そして豊橋聾学校名物の銀杏、手芸や工芸品などの販売も行われていました。修学旅行、日々の取り組みの発表や24時間テレビでジャニーズと踊ったWii will rock youのダンスとかがあってよく分かりました。私はそこで昼ごはんの焼きそばを食べて旧友と話して午後はストラックアウトやカーリングをして楽しんでました。

私は2023年11月11日に、久しぶりに豊橋聾学校の文化祭に行きました。2019年以来4年ぶりの文化祭だったのです。2020年、2021年、2022年は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、文化祭が中止になっていて学校の生徒や先生だけで行っていました。しかし、やはり実際に学校に行って、生徒や教員と顔を合わせるのとは違います。私は、コロナが明けて文化祭に行くのをとても楽しみにしていました。

文化祭に着いたとき、私はまず、高等部の時の担任の先生に会いました。先生は私のことを覚えていてくれました。私は大学生活や自分の生活のことを話し、高等部の時の思い出を話しました。高等部の時は、先生と一緒に、聴覚障害のある人の社会参加や自立について学んだり、進路について相談したりしました。先生はとても大切な恩師です。

次に、私は保健室の先生に会いました。保健室の先生は、私が中学部の時からずっと同じ先生でした。修学旅行にも一緒に行った記憶があります。先生は私にとって、とても優しい存在です。先生は私のことも覚えていてくれて、私の耳の調子を心配してくれました。私は先生に、耳の調子は良いと伝えました。先生は私に笑顔で、おめでとうと言ってくれました。

そして、私は聾学校のトイレに行きました。トイレに行ったとき、私は驚きました。聾学校のトイレがすごい綺麗になっていたのです。段差や滑りやすい昔ながらのタイルの床が無くなり、壁や床が白くなりピカピカでした。また、障害者用のトイレスペースも作られていました。障害者用のトイレスペースには、手すりやベルトなどがついていて、車椅子の人や歩行困難な人も安心して使えるようになっていました。私は、聾学校が障害者のニーズに応えて、噂ですが将来の支援学校統合に向けてトイレを改善したことに感心しました。

しかし、私は同時に心配になりました。聾学校の人数が減っているのです。私がいたときは,全学部に70人ほどいましたが、今は45人ほどしかいません。聾学校に通う子どもたちが少なくなっているのは、聴覚障害の早期発見や療育が進んだことや、包括教育の推進により聾学校の通級を受けながら教育一般の学校に通う子どもたちが増えたことなどが理由だと思います。私は、聾学校に通うことで得られるものがたくさんあると思っています。聾学校には、聴覚障害のある人たちが集まって、共通の言語や文化を持っています。聾学校には、聴覚障害のある人たちが支え合って、自分らしく生きることができます。私は、聾学校がこれからも存続して、聴覚障害のある人たちに教育や生活の場を提供してほしいと思っています。

以上が、私が豊橋聾学校の文化祭に行って感じたことです。文化祭は2023年11月11日に2019年以来4年ぶりに行われてそれに行ったことの感想を書きました。

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