【読書備忘録】崩れゆく絆からロリア侯爵夫人の失踪まで
人にさまざまな性質があるように、本にもさまざまな性質があります。読書していると、おなじ「面白い」という感想でも、そこに至る経緯は多種多様であることが認められます。初読で面白さを感受できる本もありますし、再読して面白さを発見できる本もあります。その現象はあくまでも本と人の個性を表すものであり、優劣を表すものではないと私は信じています。頬張るなり口内に風味が広がるよさもあれば、スルメのように噛めば噛むほど味の滲み出るよさもあります。同様のことが本にもいえますね。さて。何故こんな前口上を述べたかといいますと、今回紹介する本は2019年発行物以外いずれも再読し、改めてその魅力を語りたいと思ったものだからです。心惹かれる本とは何年経とうとも何度読もうとも色褪せることはありません。
崩れゆく絆
*光文社古典新訳文庫(2013)
*チヌア・アチェベ(著)
* 粟飯原文子(訳)
本作品は五〇以上の言語に翻訳されており、合計一千万部以上売れているアフリカ文学の金字塔である。ナイジェリア出身のイボ人チヌア・アチェベは伝統的な口承文芸と西洋の文学形態を合わせ、独自の小説技法を実践した作家で、代表作『崩れゆく絆』では類まれな構造の美を感じさせる物語形式が実現されていて感動を覚えた。本作品の舞台はイギリスによる植民地支配が始まる直前の一九世紀後半で、全三部で構成されている。第一部では複数の集落からなる村ウムオフィアの生活模様が語られる。その軸となるのが主人公オコンクウォだ。勇猛果敢な生き方で社会的地位を獲得した猛者であると同時に暴力に訴えがちな激情型の男性主義者である彼は、やがて村の禁忌を犯して流刑の身になってしまう。ここまでが第一部のあらまし。そして第二部以降では宣教師渡来に端を発する白人たちの到来が描かれ、ゆったりとしていた物語は堰を切ったように進んでいく。将来の植民地支配を匂わせる表現は不気味なほど淡々としており、西洋文化の流入に呼応する展開の変わり方は驚異的というほかない。
ラテンアメリカ文学入門
*中公新書(2016)
*寺尾隆吉(著)
積極的におすすめしたい入門書である。筆者が初めて『ラテンアメリカ文学入門』を拝読したのは発売直後のことだが、当時はまだ未読の小説がたくさんあったと記憶している。久しぶりに再読したら以前は気付かなかった真意が頭に入ってきて、本の厚みが増したような気持ちになった。さて、ラテンアメリカ文学が世界的な流行を見せたのは一九七〇年前後。本邦も例外ではなく、次々翻訳刊行されたのでホルヘ・ルイス・ボルヘスやミゲル・アンヘル・アストゥリアスといった名前に馴染みのある人は多い。けれどもラテンアメリカ文学はマリオ・バルガス=リョサ氏のノーベル文学賞受賞やフリオ・コルタサル生誕一〇〇年などかさなったこともあり、再評価されるとともに改めて翻訳刊行が活発化している。本書の著者であり、人間業とは思えない速度で翻訳活動を進めておられる寺尾隆吉氏はこの潮流を支える功労者である。本書はラテンアメリカ文学の黎明期、リアリズムの破綻、アルゼンチン幻想文学とマジック(魔術的)リアリズムの誕生、ラテンアメリカ文学の世界進出、キューバ革命、立役者たちの分散、商業主義の興隆、将来に対する展望、これらを手厳しい意見を交えながら概観していく。本当に手厳しい。随所に吃驚するほどの酷評を入れているため反抗心を刺激される読者もいそうだが、重要な講義の途中だから堪えて静聴しよう。
古書収集家
*水声社(2015)
*グスタボ・ファベロン=パトリアウ(著)
*高野雅司(訳)
文芸批評家、編集者、言語学者、ジャーナリストとしてラテンアメリカの歴史や文学に関する評論・編著を発表するほか、ブログで六年間に及び時評を論じてきたグスタボ・ファベロン=パトリアウ氏は二〇一〇年『古書収集家』で小説家としても衝撃を与えた。おなじくペルー出身のノーベル文学賞作家マリオ・バルガス=リョサ氏も称賛したこの小説はファベロン=パトリアウ氏が提唱するラテンアメリカ文学における推理小説の枠組みに、生まれ育ったリマの記憶を取り込むことで実現した不条理と狂気の結晶である。物語は心理言語学者のグスタボ(著者と同名なのは意図的だろう)と婚約者を殺害して以来精神病院に入院しているダニエルとの再会から始まる。やがてグスタボは謎に包まれている事件の真相を明らかにするため、情報を求めてダニエルの旧友たちに接触する。ここからダニエルとの対話を描写する偶数章、ダニエルの旧友たちとの対話を描写した奇数章が交互に展開され、偶数章の後には古書収集家の短い話が挿入される。この暗示的な構成と不条理な真相の融合により『古書収集家』は推理小説でありながら推理小説でない、グロテスクな心理小説でもある不可思議な容貌を得ている。類似作品の見あたらない傑作だ。
カッコウが鳴くあの一瞬
*白水Uブックス(2019)
*残雪(著)
*近藤直子(訳)
本書は一九九一年河出書房新社より刊行された書籍の再刊で、巻末には一九九五年河出書房新社より刊行された訳者近藤直子の『残雪―夜の語り手』から一部を付録として掲載したものである。残雪氏と聞いて頭に浮かぶのは奇想天外な街を創造し、数ヶ国に翻訳された長編小説『黄泥街』だ。四方八方で勃発する喧騒、腐敗する食物、湧き続ける蛆で構築された世界は凄まじく、読んでいると紙面に情景が浮きあがるほどであった。本書にはその残雪氏の初期短編小説が九編収録されている。前述した『黄泥街』で強調されていた汚物の香りは控えめながら、随所に後の片鱗をうかがわせる技巧が凝らされておりぐんぐん引き込まれる。現実なのか空想なのか、あるいは夢なのか判別が付かなくなる超現実的展開を見せる表題作。毎晩寝室に忍び込んで傍若無人に振る舞う靴拾いの老婆と、老婆に翻弄される隣人を描いた『刺繡靴および袁四ばあさんの煩悩』。また『曠野の中』ほかに見られる発話の応酬。これらの作品では夢で見るような突飛な現象が発生したり、対話でありながら独白を衝突させるような空虚な会話が連続したり、日常的とも捉えられる光景をシュールに活写しているためか、現実から乖離した奇妙な人間模様を覗き見ることができる。
案内係
*水声社(2019)
*フェリスベルト・エルナンデス(著)
*浜田和範(訳)
フェリスベルト・エルナンデスはウルグアイの首都モンテビデオ出身の作家。執筆を始める前はピアニストとして活動していた。幼少期にピアノ練習を始め、後にはクレメンテ・コリングより作曲と和声を学ぶ。すでに文学的情熱も芽生えていたようだが、経済状況が悪化したため一時期は無声映画の伴奏で生計を立てていた。そんな彼が作家として出発するには地道な公演、離婚、失職などの過酷な体験を経なければならなかった。苦労人のフェリスベルトである。本書は後期短編小説群と中期自伝的小説と前期短編小説群の三部構成で編集されており、欧米はいわずもがな中南米にも類似物の少ない奇妙な作風を堪能できる。とはいえ各物語の随所に自身を反映させている特徴があり、音楽に関わる人物や展開が見られる点はむしろ連作的でもある。自伝的小説『クレメンテ・コリングのころ』は代表例といえる。なおフェリスベルトはジュール・シュペルヴィエルの賞賛を受けるなど生前から評価されていたが、ラテンアメリカ文学界の重鎮に至るのは死後のこと。フリオ・コルタサル、フアン・ホセ・サエール、ガブリエル・カルシア=マルケス、ロベルト・ボラーニョ、セサル・アイラ、エンリーケ・ビラ=マタス、フアン・ビジョーロといった後世のスペイン語圏作家に評価され、いよいよ円熟の境地に達しようというとき、彼は病に倒れたのであった。
ラヴェルスタイン
*彩流社(2019)
*ソール・ベロー(著)
*鈴木元子(訳)
ロシア・ユダヤ系移民としてカナダのケベック州ラシーヌで生まれ、九歳のときにアメリカのシカゴに移住。人類学の博士号を取得後、シカゴ大学の大学院社会思想研究科の教員として教鞭をとりながら旺盛な執筆活動に精をだしてきたソール・ベローは、ノーベル文学賞、ピューリッツァー賞、O・ヘンリー賞、そして全米図書賞を三度受賞という偉業をなしとげた世界文学における巨頭だ。本邦では一九八〇年代前後に翻訳刊行されていたが、残念ながら大半が絶版となっている。その中未訳のまま幾星霜を経て、初めて翻訳されたのが最後の長編小説『ラヴェルスタイン』である。死期を悟った政治哲学者と、メモワールの執筆を頼まれた作家の友情を流麗な文体で描いた本作品の特色は、著者自身の人生をモデルに構成されている点だろう。主人公の作家チックと政治哲学者ラヴェルスタインはソール・ベローと友人アラン・ブルームを原型としたもので、そのほかの登場人物や作中の事象もおもに事実を元にしているため、研究者の間では自身のメモワールとして見る向きもあるようだ。けれども多言語を織り交ぜた技巧的な作法、歴史や病気に対する哲学的思索、ユダヤ人にまつわる思想から得られる面白味は小説の賜物に相違なく、含蓄のある人生観と優しさをただよわせる物語は偉大な文学者が最後に著した想像力の結晶といいたい。
Xと云う患者 龍之介幻想
*文藝春秋(2019)
*デイヴィッド・ピース(著)
*黒原敏行(訳)
本作品は芥川龍之介の人生と作品を混ぜ合わせ、幻想と狂気が充溢する奇想譚として再構築した意欲的な長編小説である。著者デイヴィッド・ピース氏は日本在住のイギリス人。芥川龍之介の影響を受け、長年の研究を経て芥川自身と芥川作品をコラージュし、新たな芥川像を創造することに成功した気鋭の作家だ。既存の発表作品を再編集して、芥川龍之介を主役とする一二編の短編小説集にまとめた格好だが、苦悩しながら執筆を続け、やがて服毒自殺に至るまでの芥川の文学観・世界観は一貫して描かれており、連作形式もしくは一二章形式と解釈するのが妥当だろう。その虚実入り交じる物語展開はどこか朦朧としていて、畳みかけるようにおなじ言葉を繰り返す鮮烈な文体も相まって読みながら混乱の渦に飲み込まれてしまった。芥川作品でお馴染みの堀川保吉、芥川と関わりのある夏目漱石や谷崎潤一郎や久米正雄といった人物が同次元に登場する光景は異様である。この狂気のありようは芥川と『蜘蛛の糸』を基礎に再編集された第一章『糸の後、糸の前』で暗示されているので心して読み込もう。余談ながら芥川龍之介は個人的に思い入れのある文豪なのだ。それだけに彼に注目し、秀逸な小説をもって彼を現代に蘇らせたピース氏に感謝したい。
池澤夏樹の世界文学リミックス
*河出文庫(2015)
*池澤夏樹(著)
池澤夏樹氏には色々な顔がある。小説家、書評家、随筆家、翻訳家。各分野の受賞数は一〇を超える。ほかにも世界文学全集を編纂し、二〇一九年現在も日本文学全集に取り組まれるなど文学紹介者としても活動されている。とはいえ世界文学全集を個人編纂するのは並大抵の企画ではない。売れる保証はなく、売れなければ大変な事態に陥る。そこで池澤氏は『夕刊フジ』で世界文学全集刊行と並行してコラムを連載。平易で、それでいて要点をおさえた軽快な文章で世界文学全集に絡めながら各国の小説を紹介するという内容だ。その回数は何と一四九。紹介されている作品は豪華すぎて数点に絞るのも難しいので古今東西の名作と表現させていただくが、堅苦しさをまったく感じさせない語り口の効果で気楽に読むことができる。池澤氏の計画通りだ。残念ながら小説の売れ行きは芳しくなく、翻訳書に至っては悲惨といえる。故に新しい風を吹き込む事業の意義は今後薄れるどころかより濃くなるだろう。自分自身翻訳小説を愛読しているだけに、秀逸な紹介書である本書を強く推したい。
薔薇とハナムグリ シュルレアリスム・風刺短篇集
*光文社古典新訳文庫(2015)
*アルベルト・モラヴィア(著)
*関口英子(訳)
本書は一九五六年イタリアにて編集・刊行された『疫病――シュルレアリスム・風刺短篇集』全五四編より一五編の代表的作品を訳出し、表題作を入れ替えた作品集だ。邦訳にともない表題作に選ばれた『薔薇とハナムグリ』は、薔薇を愛するハナムグリたちの中どうしても薔薇よりキャベツに惹かれる娘の葛藤を描いたもので、皮肉を利かせた童話の体裁をとっているのが特徴。本作品において文体は平易であり構成は明瞭である。けれどもそこに秘められた風刺の心は国家も人種も時代も超越し、如何なる社会にも通用する普遍性を有している。全編で展開される超現実的な事象、寓意的表現の連続には感嘆するばかりであった。ただ、リアリズムとシュルレアリスムから多大な影響を受けたアルベルト・モラヴィアの本領が発揮されているのは認めながらも、この作品集がムッソリーニ政権による言論・出版統制時期に刊行された点を踏まえると見方が変わってくる。モラヴィアの小説で描かれる戦争、革命、階級、性愛のかたちは当然ファシズムの望むものではなく、人民文化省はアルベルト・モラヴィア名義で新聞雑誌に寄稿することを禁じ、挙句の果てにはローマ教皇庁が彼の全著作を禁書目録に入れてしまった。こうした身の安全が保証されていない状況下で、シュルレアリスムという針の穴を通すような技法を巧みに操り、斬新な表現に換えたところに作家モラヴィアのたくましさを感じる。
ロリア侯爵夫人の失踪
*水声社(2015)
*ホセ・ドノソ(著)
*寺尾隆吉(訳)
チリの小説家ホセ・ドノソが『別荘』に続く長編小説第六作目として一九八〇年に発表した『ロリア公爵夫人の失踪』は、彼の作品群の中では若干趣を異にした物語である。一九二〇年代のマドリードで繰り広げられる性の営み。外交官の娘ブランカ・アリアスはロリア侯爵との結婚で愛と財産を得るが、夫との究極の絶頂を迎えられぬまま死別の憂き目に遭う。やがて彼女は亡夫とともに辿り着けなかった境地を求め、狡猾な伯爵、陰のある画家、狂気に取り憑かれた犬といった多種多様な他者と関わることになる。いわずもがな本作品は純然たる官能小説。そこに描出されるのは欲情の果て、めくるめく交接の図。既刊『別荘』『夜のみだらな鳥』で縦横無尽にふるわれたグロテスクな筆致は抑制されており、過去の著作では描き切れなかった欲望の残滓を、美貌と財産を備えた未亡人の男性遍歴に換えて表現した小品という体裁だ。小品とは価値の低さを表すものではない。小さな、限られた執着・愛着を凝縮する場合おいて小品は最大限の力を発揮する。
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読書備忘録はお気に入りの本をピックアップし、短評を添えてご紹介するコラムです。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという筆者の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている筆者の趣味嗜好の表れです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その旅の中で出会った良書を少しでも広められたい、一人でも多くの人と共有したい、という願望をこめてマガジンを作成しました。
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