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あの日のこと

あのとき私は会社にいて、高層階にあるオフィスは揺れに揺れた。子どものときから「東海地震がくるぞくるぞ」と言われていたので、「ついに来たか」と思った。

テレビで東北の様子が映し出され、大変なことになってることは分かっても心の整理がつかず、ぼーっとしていたと思う。定時の18時までは律儀に会社にいて、1時間歩いて家に帰った。

家の近くのコンビニは、棚からほとんど商品がなくなっていて、ペヤングが2個残っていた。私もそれを手にレジに並んだ。危機的な状況になると、人は我先に物を手にいれようとするのか、と客観的に見つめながらも、自分も買わずにはいられなかった。

家に帰ると棚の上からものが落ちていたくらいで、すぐに片付け終わり、あとはずっとテレビを見ていた。何も手につかず、ふわふわしていたと思う。そんな状態で週末を過ごしていた日曜の夜、クライアントの広報のおじさんから電話があった。「会社の拠点も被害を受けている。社内ではどうコミュニーションしていけばいいだろう」。

それでやっとスイッチが入った。そうだ、仕事しなくちゃ。急に使命感が湧いてきて、人に必要とされることのありがたさを痛感した。

だから、震災で仕事を奪われた人のことを考えると辛い。大切な畑を去らなければならなかった人、家畜を置いていくしかなかった人、海で魚をとれなくなった人、職場が流されてしまった人……。原発で働いていた人も。

働く場所があって人に必要とされないと、人は生きられないと思う。コロナ禍でも震災と同じことが起きている。誰もが好きな仕事を続けられる世の中にしなければ。いつもそのことを胸に仕事している。



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