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#瞑想

「誰か」になることから「誰でもない」へ帰る

「誰か」になることから「誰でもない」へ帰る

自我とは「誰か」になる働きである。この表現はラム・ダスの『覚醒への糧』という本の中で見かけたと記憶しているが、自我や自意識について言い得て妙だなと思っている。

「誰か」になる働き「誰か」は他の誰かだけじゃない。「自分」も誰かに含まれる。
つまり、「あの人みたいになりたい」と同様に「理想の自分になりたい」も今ここにいる現実の、そのままの私じゃない「誰か」になりたいという働きなのだ。

自我とは働き

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うるささの中で瞑想をする/負の投資/戻ることの重要性について

うるささの中で瞑想をする/負の投資/戻ることの重要性について

今日は瞑想という習慣について書いてみた。少し長い(1万字オーバー)のでお時間のあるときにどうぞ。

瞑想への取り組み方が変化した3、4年ほど前から瞑想を行うことを生活習慣の一部にしているが、その瞑想への取り組み方がこの数ヶ月でかなり変わった。外からは全くわからない内面の変化なのでどのくらい変わったかを定量的に表現するのは難しい。が、とにかく大きく変わったと感じる。

どんなふうに変わったかを少し書

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沈黙した状態で注意を払う = 観察

沈黙した状態で注意を払う = 観察

観察といいながらコントロール/解釈/決定/抑圧してしまっている(または、してしまっているかもしれない)という思いは瞑想を始めた当時からありました。

観察ってどうやるのが正解なんだ?という思いですね。

たとえば、さっき3歳の娘が大きい声で歌いながら私の周りを駆けずり回っていたんですが、まぁ反射として「うるさいなぁ」と思うわけです。

で、これを「うるさいと思っている」とか「音、音...」とかいう

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結ぼれの瞑想

結ぼれの瞑想

結ぼれとは、WEB辞典より引用すると、

心が憂鬱(ゆううつ)になること。

心のしこりのようなものです。

これがあるばかりに人は悩みます。自分を解放できません。

銀の弾丸はない結ぼれを解く特効薬のようなものはなく、これを解消していくには、ひとつひとつ気づいてあげて、ゆっくりゆっくり揉みほぐしてあげるしかないようです。

僕は、1日のあいだのどこかで1回、気が向いたときに時間を取る、という感じ

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