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陣中に生きる—16『昭和十二年 十月九日、十日』

割引あり
砲撃の略図
行軍地図・現在地、呉淞(ウースン)

十月九日 雨

― 新任大隊長 ―

夜が明ける。銃声がほとんど止んでいるのでホッとした。
しかし、雨は小やみもなく降っている。
極度に緊張しておればこそ、こんな泥につかっておれたものだ。

はるか東方から南方にかけては、ずっと激戦がつづいていた。
友軍はさかんに砲撃をやってるらしく、遠雷さながらの、砲声がひっきりなしに聞える。


とろとろと、仮睡のところを起こされた。
新任大隊長殿の初巡視である。
隊長殿のご温情で、日中は交代に休養してよいことになった。


午後は、南方の残敵掃討をする。
したがって流弾が多くなろうということで、砲車の南側ベト(泥のえん体)築きをする。

雨は少しもやみそうになく、またも不気味な夕暮がせまった。
しかし、今晩は幕舎の中が大分よくなったし、なにより、新隊長が頼母しく感じられたので、気分的にはずっと楽になる。
ただ、迫撃砲弾に対する防備のしょうがなく、それだけが不安だった。


夜になると、また四、五人の歩兵が来てくれた。
それが心強く感じられて、みんなの表情が変った。
彼らの体験から、ベトは一米半ぐらいないと弾丸が通ると教えられたが、夜は流弾が多いので、そのまま一夜を明かすことにした。


今夜は全線にわたって、比較的平静である。
だが、このまますすむことはあるまい。
と思っていると、西南方からポツンポツン・・・・・。
が、すぐに制圧されたらしく、やがて止んだ。

昨晩とはうって変った静けさである。
美声の川崎が鼻唄をうたいだした。
しかし、風雨は次第につのり、それにつれて気温が低下し、せきをするものが多くなる。
自分もその仲間だった。

歩兵は宮城県人で、お国自慢や体験談に花が咲き、さほど退屈もせずに夜がふける。
やはり何事もないので、そろそろ眠くなってきた。

壕には水がいっぱいたまって、腰から下はドップリとその泥水につかっていた。
しかも、連日の疲労と睡眠不足とが、兵隊たちを底知れぬ眠りにさそい込んだ。
すごいいびきで、眠いが眠れないものもあった。


十月十日

― 泥沼戦場 ―

なにごともなく、夜が明けた。
動員下令後早や一箇月になる。
十年もたった感じなのに、まだ一箇月とは・・・・・。
みんなで、当時の模様や、その後の思い出を話しあった。
幕舎の中は、夜来の雨でドブドブである。
いわば、泥につかっての座談会である。

時々、降りしきる大空をのぞく。
幾日降りつづけるつもりであろうか。
思わず、長嘆息が吹き出る。
道路はさらに悪路となり、特務兵たちは、襦袢(じゅばん・シャツ)一枚で馬を引いていた。
こんな雨天なのに、友軍の砲声は絶え間もなく、右に左に、遠雷のように聞こえる。
それらの砲声が、雨を呼んでるのかも知れない。

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