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R (あの時、僕たちは人生のコーナーに居た) 第二章 昔日

【あらすじ】
 時代は昭和の終わり。  誰もがこの豊かな時代に歓喜をしていた。虚像が渦巻く好景気に大人は騙され、子供はその恩恵に授かり続けていた。  この物語は、少年から大人へと、人生のR(コーナー)を迎えた5人の少年たちの葛藤を描いた、一夜の青春群像物語である。 成人式を迎えた日、仲間の1人が「今夜で走り屋を辞める」と他の4人に告げた。 このことから、少年たちはバイクに車、そして恋愛と友情が織りなす中で、大人になることの答えを考え始めた。 やがて夜が訪れ、峠に集まった5人の仲間は、お互いを理解しあいながらR(コーナー)を攻め続ける。そして、人生のR(コーナー)へと飛び込んでいくのだった。


【登場人物】
光司(コウジ)    :主人公
卓也(タクヤ)    :光司の親友。高校時代の同級生
春樹(ハルキ)    :光司の親友。高校時代の同級生
晃(アキラ)     :光司の友達。走り屋仲間
比呂(ヒロ)     :晃の年下の友達。走り屋仲間

裕美(ユミ)     :光司の恋人
洵子(ジュンコ):卓也の恋人



第二章 昔日 

昭和61年1月 成人の祝日 午後4時

 
 光司はガソリン・スタンドのアルバイトを終えると、逃げるようにシビックSiに乗り込んだ。
 卓也は随分と前に帰って行った。
あれから喚き散らすこともなく、最後はだまってサービスステーションから立ち去った。
 別れ際に、「今夜な」と声をかけたが、卓也から返事はもらえなかった。卓也も喧嘩をしたくはなかったのだろう。だから、口論になるところを、必死で堪えてくれた。
 春樹とは少し言葉を交わしたが、お互いに笑顔はなく時間だけが過ぎた。ただ、春樹も無理に追及することはなかった。

 光司は車のシートに落ち着くと、自分に気を使ってくれた2人に感謝をした。お互いの気持ちが解り合えることが、どれだけ安心感に繋がるものなのか。仲間と気持ちが解り合えることが、どれだけ大切なことなのか。
光司たちは、ひとりでは絶対に生きていけないことぐらい解っている。ひとりで好きなことをしていたのでは、お金を稼ぐことも出来ないことも知っている。
 だからこそ、仲間と何かを成し遂げたい。
 これから何人と出会い、どれだけの人に命令されて、くだらない大人と言い争いをするのだろうか。それでも、今日、卓也と春樹の2人と、ケンカに発展しなかったことが心底嬉しかった。

 光司はキーを回してエンジンが息を吹き返すのを確かめながら、「きっと夜になれば上手くいく」と呟いた。
 しばらくして、エンジン音が落ち着くと、回転数の針が定位置に納まるのを確認した。愛車から繰り出される歯切れの良い音色が、頭の中のモヤモヤを消し去っていく。
 お気に入りのレカロのバケットシートに、身体を沈みこませ固定をすると、静かにアクセルを踏み込んだ。まるで、ピット作業を終え、再びコースに戻るかのように、俺はガソリン・スタンドから滑り出た。
 アクセルを踏む右足の裏から伝わる振動が、光司の身体を突き抜けて脳天にまで達する。すると、心がどんどんと和らいでいくのを感じずにいられなかった。
 お気に入りのフジツボ製デュアルマフラーが、エンジンの吹き上がりに同調をして、静かな音色から心地良い高音を奏でるようになる。エンジンは今日も好調だった。

 車は阪奈道路を奈良方面へと走り出した。生駒から富雄、学園前の出口を通り過ぎると、左手にはゴルフ場が広がる。陽もずいぶんと傾き、恐らく最後と思われるパーティがラウンドをしていた。
 ここは関西でも名門のゴルフ場といわれている。祝日の今日、あそこでゴルフをする大人は「どんな人なのだろうか」と、ふと気になった。
 ゴルフ場に別れを告げると、視界は一気に大きく広がり、遠くに若草山が飛び込んでくる。やがて近鉄電車の橿原線高架を跨ぐと阪奈道路も終点となり、奈良の市街地へと入る。

 信号で停止をした俺の横に、キレイに吹き抜けた排気音を響かせ、2台のバイクが並んで停まった。
 ギアをダウンする時のエンジンの音色を聞くだけで、ライダーの技量を推し量ることができる。ギア比と回転数が上手に噛み合ってこそ、綺麗な音色を奏でることができるからだ。
 2台のバイクは、スズキ「RG-γ(ガンマ)250」とホンダ「VFR400F」の、どちらも人気の車種である。


「RG-γ(ガンマ)250」は、ご自慢の角アルミフレームが輝いており、並列2気筒のエンジンからは、独特の高音を奏でている。一方「VFR400F」は、水冷の90度V型エンジンで、ブーメラン型のアルミホールが人気を呼んでいる。
 サイドガラス越しに聞こえるバイクのエンジン音は、光司にとってモーツァルトのピアノ協奏曲でもあった。

 光司は顔を前方の赤信号に戻すと、バイクを乗り回していた頃を思い出した。
 風を肌で感じることができるバイクの魅力を知ると、誰もがバイクにのめり込んでいってしまう。風を切ることで、学校や世間の嫌なことを、すべて流してしまうことができるからだ。
 そして、バイクが奏でる甲高く心地の良い音色だけが、いつまでも追い続けてきてくれる。
 そんな、バイクを走らせていた高校生の頃が蘇ってきた。
 バイクだけが自分の見方であり、彼女も恋も愛も生活に入ってくる余地などない、あの頃が懐かしかった。

 いつの日か、プロのレーサーになることを夢見ていたあの頃。
高校生のとき、光司は準ワークスのレーシング・チームの片隅に所属させてもらった。たとえ片隅でも、有名なレーシング・チームに所属をしていることで、「きっと夢は叶う」と信じてやまなかった。
 ある日、チームの社長から好意で払い下げてもらったバイクが、ヤマハ「RZ250R」だった。
 
「光司、このバイクを乗ってみるか」

 社長の一言はまさに唐突だった。驚きから声は発せられなかった。ただ目を輝せて突っ立ていた。

「本当にいいんですか」
「ちょっと、これで腕を磨いてみろや」
「本当ですか。ありがとうございます」

 その会話を聞いて、周りから2~3人が集まってきた。

「光司にこのマシンが乗りこなせられるか」

 チームの先輩にからかわれたことが、逆に嬉しかった。なぜ、あれほどまでに嬉しかったのか。それは、当時の光司には、「いつかプロのバイクレーサーになりたい」と、たしかな「夢」があったからだ。そして、その「夢」に一歩、近づけた気になれたからだった。

「光司、バイク壊すなよ」
「このマシンなら、レースに出られますよね」
「これで勝てなかったら、お前は終わりだな」

 先輩たちの厳しいツッコミにも、嬉しそうに反応をしていたことを、今でもはっきりと覚えていた。 

 それから、峠で度胸をつけて、マシンにも慣れてくると、次はローカルサーキットを目指した。
 当時は、少し腕に覚えができたライダーが、こぞってサーキット場を目指した。溢れるライダーの衝動を汲み取るかのように、地方のサーキットでローカル・レースも頻繁に行われるようになっていた。
 こうして、ローカル・レースで更に腕を磨き成績を収めたものが、ナショナル・サーキットへとステップ・アップをしていくのだった。
 光司も念願のレースバイクを手に入れたことで、将来の夢が明確に見えつつあった。それは、とてつもない大きな山ではあったが、目の前に見えたことだけで嬉しかった。

 光司はローカルサーキットで開催されるレースに、自費で出場をしながら、チームとの帯同も続けた。学校はサボりがちになったが、週末はナショナルサーキットで過ごすことも増えた。
 ナショナル・サーキットを走るためには、走行ライセンスの取得が必要となる。暑い夏、走行ライセンスを取得する為に、サーキット場でバイクを引きずりながら、長蛇の列に並んだあの頃が脳裏に焼きついている。
 
 

但し、峠を卒業してサーキット場に舞台を移すライダーなど、掃き捨てるほど存在をしている。実際に峠を駆けめぐっていた走り屋から、最高位の国際A級ライセンスにまでたどり着けるライダーなど、全体の1%にも満たないだろう。夢を現実に出来る確率が、たったの1%ということだ。そして、その1%の数字が、少しずつ突きつけられるようになってきた。

 チームにレースマシンは2台。そこにリザーブシートを争うライダーはいくらでもいた。いくら走行ライセンスを取得したとしても、ライセンスを無駄にしているライダーも珍しくなかった。

 結局、光司は地方のローカル・レースに参戦するのが精一杯であった。
それでも、高校生だった光司にとっては、充実をした日々でもあった。深夜遅くまでのアルバイトを終えてから、すぐにサーキットを目指す日々が続く。肉体的には信じられない疲労に襲われてはいたが、心はいつも満たされていた。

 目の前の信号が青に変わった。俺の横に並んでいた2台のバイクが、心地良い音色を残して軽快に走り去っていく。
ふと、ダッシュボードの時計に目を走らせる。アルバイト終わりの裕美(ユミ)を迎えにいく午後7時には、まだ時間があった。
裕美とは付き合って2年半の彼女である。
当時、光司がアルバイトをしていたファミリー・レストランで知り合った。あれは、3年前の夏の繁忙期、アルバイト募集の広告を見て、友達と2人で応募してきたことが出会いとなった。

 初めて見た裕美は、背が低くてとってもかわいい女の子に映った。当時は光司が高校3年、裕美が高校2年のひとつ下だった。
その夏の終わり、光司の誕生日に裕美が初めてお手製の弁当を作ってきてくれた。小さなお弁当箱に、たくさんのおかずが溢れんばかりに詰め込んであった。そのお弁当を見て、裕美の気持ちを知った。そして、2人の付き合いがスタートをした。
 その夏、光司と裕美は2人で線香花火をした。仲間たちで「肝だめし大会」を企画した時には、裕美とペアを組んだ。暗闇に怖がる裕美と手をつなぎ、寄り添って歩いた。しかし、その暗闇が2人のファーストキスの場所にもなった。ひと夏が終わり、それから2年半が過ぎた現在も2人は一緒にいる。

 時間を余してしまった俺は、これからどうしたものかと考えた。ガソリン・スタンドで時間を潰していてもよかったのだが、春樹と顔を合わせているのも辛かった。結局、時間を潰す場所も思い当たらなかったので、家に一旦戻ることにした。 

 家に着くと、親と顔を合わせたくない俺は、自然と裏の納屋へと足を向けた。
卓也と同様に、俺も両親と上手く行っているとは決していえなかった。反抗期と言えばそれまでだが、父親とはもう何年も会話をした記憶が無い。「いつまで、反抗期が続くのだろうか」というよりも、反抗期そのものに明確な始まりと終わりがあるわけもない。反抗期に終わりの知らせが来るのならば、ぜひとも教えて欲しい。
 最近は、「このまま親を敬遠した状態で、大人になって良いものだろうか」と、不安になることもある。ただ、いつもその不安はすぐに打ち消されてしまう。きっと、深く考えるべき問題では無いのだろう。

 光司は裏の納屋の扉を開けた。二年前まで、そこにはお気に入りのバイクが並べてあったが、今は捨てきれずに残ったマシンが一台だけ残っている。青春の思い出が詰まったマシン。所属したレーシングチームから払い下げてもらった、ヤマハ「RZ250R」が、静かに佇んでいる。



 ナンバープレートは取り外され、公道を走らせることは出来ない。わずかに色あせたタンクのカラーリングが、過ぎ去った時間の長さを物語っている。
 光司は時間がある時はいつもここに来る。何故ならば、この空間こそ、夢を持って充実した毎日を送っていた、あの頃の時間が止まったままで存在しているからである。
バイクの前に胡坐をかいて座ると、もう動かすことのなくなったマシンのエンジン音が、頭の中に聞こえてくるのが嬉しくて堪らなかった。このバイクが奏でる音は、いまでも光司だけのものである。
 
 光司はバイクを改めて眺めてみた。エンジンは250ccから350ccに積み替えてある。走り出しの加速では、350ccのパワーに250ccのひ弱なフレームが、いつも軋んで悲鳴を上げていた。そこで、スタビライザーを強化してフロントの安定化も図ってある。また、フロント・ブレーキは、ダブルディスクに取り替えて、ハードブレーキングに耐えられるように強化を行った。レースではフロント・ブレーキの性能こそが、速く走るための生命線ともなる。ステップは後方に下げて前傾姿勢を保つことで空気抵抗を減らし、ボディバランスの安定化も図った。そして、ギアチェンジのレバー操作を逆にすることで、コーナーの立ち上がりスピードを高めてもある。 

 こうしてバイクを眺めると、傷のひとつひとつが思い出されてくる。ボロボロにただれた、ピレリーのタイヤにも哀愁が漂っていた。「お前が磨り減ってくれたおかげで、自分の命があったのだから」と、感謝をしながら右手でそっと撫でてみる。ただれきったタイヤは、長い年月のお陰でブロックのように硬くなっている。ただ、こぶしで強くたたくと、崩れ落ちそうなほど脆くも感じてしまう。
 そして、バイクの右ミラーには、ヘルメットが無造作にかけてある。自慢のヘルメット。「イタリア製agv」の真っ赤なヘルメットは「キング・ケニー・ロバーツ」のレプリカ版でもあった。そして、ヘルメットのサイド面には、彼のサインステッカーが貼られている。

 16歳の時、鈴鹿サーキットで初めてケニーに会った時を思い出していた。「どうしてこんなに小柄なライダーが、世界のキングになれたのだろうか」と驚いたことを覚えている。そして、握手してもらえた時の感動が、今でもはっきりと蘇ってくる。

 光司がバイクに跨っている時は、輝きで満ち溢れていた。そして、峠を走る俺は速かった。だれからも、一目を置かれるような存在になりつつあった。そう、峠でキングと呼ばれる存在に近づいていた。
しかし、サーキットに戦場を移すと、明らかに輝きを失ってった。峠では誰も自分の前を走らせなかったが、ライセンスを持った彼らの前では、自分の後ろを走るバイクの方が少なくなってしまう。  

 とにかく、バイク・レースはお金のかかるスポーツでもあった。国際レースに出場する、ワークスチームのマシンになると数億円にもなる。当時、プロのバイク・レーサーになる為には、「お金と時間と根性」の三つの要素が必要といわれていた。時間と根性はあっても、お金がなければ、マシンには歴然とした差が生じてしまうのがバイクレースの世界であった。
 レーシング・チームのマシンに乗ることが出来ず、チームから払い下げてもらったバイクを、自分で手直しをしたレベルでは限界があった。そして、個々で結果を出せるほど、バイクレースの世界は甘いものではなかった。
 
 いつの日からか、光司はチームとの帯同も辞めて、サーキットからは遠ざかるようになった。そして、また峠へと戻ってきた。その時、光司は後ろめたさよりも、充実した日々が舞い戻ってきたことに、喜びを感じずにはいられなかった。何よりも、峠では卓也や春樹が待ってくれていたからだ。

「光司」

 納屋の外で光司を呼ぶ声がした。母親の声だとすぐに解る。光司は気に留めることなく無視を続けた。

「光司」

母親が呼び続けている。そして、納屋の扉が開けられた。

「光司」
「なに」
「今夜も出かけるの」
「・・・・・・」
「夕食は」
「いらない」

 いつもの繰り返される意味のない会話。
いつから始まったのだろうか、この意味の無い冷めた会話が。昔は、顔を見るなり小言を並べていた母が、今ではすっかり小言も無くなった。
 光司はふと、「今日は俺の成人式であることを、母は知っているのだろうか」と気になった。ただ、それを聞くことも面倒くさく、口には出さなかった。このあと、母は一言二言、話すと納屋の扉を閉めた。結局、母親の口から「成人式」の三文字は出てはこなかった。そして光司も、母親と「何を話したのか」、まったく頭に残ってはいなかった。目の前のバイクに置かれた意識が、最後まで母親に向けられることはなかったのである。

 光司がサーキットから再び峠に戻った頃、くだらない大人たちは、暴走族と区別するかのように「ローリング族」と名付けて騒ぎ立て始めていた。ただし、いくら呼び名を区別したとしても、両方に共通していたことは、どちらも「不良」という枠で括られていたことである。
 
 もちろん、くだらない大人たちがどれだけ騒ぎ立てようとも、当事者の光司たちは誰一人として気に留めることなどなかった。そんなことよりも、ただ走っていたかった。峠を走るライダーが不良で、サーキットで走るライダーは夢を持った少年と判断する大人たち。確かに、峠を走るライダーは交通ルールに違反をしており、一般のドライバーにも迷惑をかけているだろう。光司にも、故意に交通ルールを違反することが、社会のルールから外れている氾濫分子だといわれても仕方が無いことぐらい理解をしていた。
 しかし、光司たちを非難する大人だって、犯罪のニュースがひっきりなしにテレビで流されており、そこには社会のルールを守れない大人で溢れかえっていた。結局、信じられない大人たちに、囲まれて生活をしているに過ぎないと感じていた。

 ふと、くだらないことに頭をめぐらす光司を、「RZ250R」のマシンが優しく頭を撫でたように感じた。お返しにと、シートに溜まった埃を払ってあげる。左手の腕時計に目をやると、針は午後六時を指そうとしていた。まだ少し早いが、光司は裕美を迎えにいくことに決め、バイクに別れを告げた。

(第三章 混沌に続く)



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