量子力学の公式な100周年は2025年になりそうです
前回、量子力学が誕生して2024年で100年、という話題を取り上げました。
ここでの「誕生」の定義は、初めて論文で「量子力学」という表現が使われた、ということでした。
実は、それと別にオフィシャルな100周年が決定されようとしています。
ようは、
国連とユネスコが2025年を国際量子科学技術年としようとしている、
という話です。
下記が特設サイトです。
2024年の国連総会(9月)で正式に決定するようですが、以前より決議準備は公表され、上記サイトも立ち上がったのでほぼ確定だと思います。
ということで、ややフライングですが、まずは関係者の皆様(?)おめでとうございます。
ただし、「なぜ1925年が量子力学生誕の年なのか」を説明する個所はありませんでした。ですので、推測で勝手ながら補足しておきます。
量子力学は日常生活では直感的に受け入れにくい世界です。
特に知られているのが、
観測対象である素粒子の位置と運動を同時には決定的に決められない、
というものです。
そこでは「確率的」にしか事前に知ることはできません。
それを導く数学的なツールを初めてハイゼンベルグという科学者が1925年に発表しました。「行列力学」と呼ばれます。
ちなみに、どうでもいいですが、当時23歳です。
もっといえば、このころは量子力学という従来の常識を覆す転換期の時代であり、活躍した多くが20代の若手でした。
この主要人物たちの小史は過去に書いたので、詳しく知りたい方はそちらへ。
誌面の都合で割愛しましたが、ロバート・オッペンハイマーも維新志士(?)の一人です。
彼の1925年は、ハーバード大学を首席で卒業して、新しい世界へ旅立とうとした時期です。
それが量子力学で、当時の権威ニールス・ボーアの元へと渡欧し、結果として見事に成果を残して凱旋します。
そしてブラックホール(厳密には当時はこの名前はまだなく、あくまで自重崩壊する境界の研究)の研究者として名を馳せ、その能力を買われてマンハッタン計画に勧誘される、という数奇な運命につながります。
話を戻します。
ハイゼンベルグの「行列力学」で体系的な記述が可能になり、翌年には別の角度でシュレディンガーという科学者が「波動力学」を発表します。
そしてその時間的な変化を記述したのが、今でも使われている「シュレディンガー方程式」と呼ばれるものです。
1つの世界で2つの、しかも一見別に見える理論が登場しましたが、後年になって数学的には同一であることが証明されました。
ただ、その解釈をめぐってアインシュタインとボーアとの間で大論争が繰り広げられていくわけです。
今となっては古典的な逸話となりました。
せっかく国連承認のもとで2025年が国際量子科学技術の年になりそうなので、この新しい科学の枠組み(パラダイムと呼ばれます)の変化がどのように進んだのかは、またどこかで調べてみたいと思います。
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