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日本の天文学(中世)

前回の、日本における天文歴史の続きです。

前回は奈良時代の、特に天武天皇の時代に脅威に備えて天文を使った占いを導入した話を中心に触れました。キトラ古墳も天井を「天」と見立てて表現したものです。

前回触れませんでしたが、日本古来の宇宙観というものも存在します。いわゆる「神話」として語り継がれたものです。(ただ、これも中国の思想が部分的に入ったのではないかという説もあります)

日本最古の歴史書にあたる記紀(古事記・日本書紀の総称)では、世界は下記の3つで表現されています。天の岩戸に隠れた神を踊りで釣って引っ張り出すストーリーは覚えている方は多いのではないでしょうか?

天:高天原(たかまがはら)
地:葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)
地下:黄泉の国(よみのくに)

物理的な世界と精神的な世界(生死)が共存しているのが興味深いですね。

後世に影響を与えた仏教による宇宙観に戻します。

当時の仏教による宇宙観では「須弥山(しゅみせん)」が象徴的に描かれていました。細かくは(仏教発祥の地)インドでの影響も受けています。

上記解説サイトのうち、下図がそれを表しています。

出所:上記Wiki内の図

なかなかユニークな図ですが、我々が住むのは金輪という大地にある贍部洲(せんぶしゅう)にあたり、形状が台形なのはインド大陸を意識しているのではないかと言われています。

面白いのは、今でも我々の日常語にあたる「金輪際(こんりんざい)」もここで誕生している点です。
ようは金輪(大地)の際「最初から終わり」というところから「これ以上は〰でない」という意味合いに変化します。

「有頂天」という言葉も似たような経緯で日常語に溶け込んだそうで、そう聞くとこの図にも親近感がわきますね。

ただ当時は、日本古来の神話であれ仏教であれ、一般大衆に広まったとはいえません。あえていえば、日々の暮らしをよくする精神的な支えが求められていたといったほうがいいかもしれません。

仏教は元々仏陀が「欲望をなくして人を救う」ために始めたものですが、解釈によって派閥があります。日本に入ってきた仏教も若干日本流に染まっています。

鎌倉時代になると、上記で触れた宇宙観は薄れ、いかに現世と(生まれ変わった)来世で幸福になれるのか、という民間向け仏教が浸透していきます。

鎌倉時代の少し前からの代表的な仏教伝道者の流れを書くと、
源信(浄土宗として大衆にも分かりやすい絵や文字を使って布教)
→法然(口頭でも伝わりやすい念仏で布教)
→親鸞(法然の教えをよりハードルを下げて布教)
で、親鸞が起こした「浄土真宗」は今でも最も日本で普及した宗派です。

今回の話だけを読むと、100%宗教の話で科学的でない印象を与えます。
もちろん当時は今の自然科学という考え方(実験に基づく仮説検証サイクル)はありません。

ただ、今の先端科学と宗教が唱える仮説は共通点がなくはなく、近年発行された「死は存在しない」という書籍でもその類似点と対立構図を超えようとする試みは伺えます。

ざっくりいえば、
万物は量子(粒でもあり波動でもある)から成り、意識や生死など身体的・精神的なふるまい含めて多階層で構成され、根っこでは繋がっている、という仮説です。
最終的には「宇宙意識」につながるとしており、一見オカルト本に感じますが、元科学者として合理的に説明しようとしています。

この評価は保留しますが(一応検証出来ないという理由で)、ただ、科学と宗教を安易に対立構図に置かないのはうなづけます。

特に今回のような歴史をたどると、数千年の人類の営みをこの100年で生まれた理論で全て断じてしまうのは、いささか早計な気がします。

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