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子どもの「なんで勉強しないといけないの?」という問いに答えを持てた。もの喜びできる人になるため。

得をする人と損をする人。

運がいい人と運が悪い人。

こういうある種反対の言葉で表される時に、隔てている壁というのはどんなものなのでしょうか。

これにはもの喜びできるかどうか、なのかなって思いました。

さて「もの喜び」を説明するにあたって、”一汁一菜でよいという提案”という土井さんが書かれている本の中にこういうシーンがありました。

一方、客側にとっても、教えられたのではなく自分で気づくことは小さなことでもそれは閃きですから、パッと心が開いて嬉しいものです。そういう閃きのある人を「もの喜びできる人」と言います。

一汁一菜でよいという提案 土井善晴

関西の言葉なのですが、要は、点と点が繋がって、コナンくんのトリックが分かったシーンで、黒い背景に一筋の電撃の線が走る、まさにあの瞬間を面白く・楽しく・嬉しいと思える人なのだと思います。

そんなに考えたこともなかったのですが、子どもに「なんで勉強しないとあかんの?」って聞かれた時の返答ができるようになったと思います。

それは、「点と点が繋がる瞬間に、いっぱい立ち会うことになるからやで。」

絵を見るのに、やはり知識が必要で、その歴史的な背景を知っているか知らないかで入ってくる情報量が、そのまんま純粋なものか、膨らんで入ってくるかが違う。
※ちなみに僕は絵は、あんまりわからないです。。。けど美術館に行ってみたい。

同じように、音楽を聴くのにも、知識があるとより受け取り方が変わって、没入感的な、深く入れるのだと思います。

料理もそうなのだと思います。
「今日は蒸し暑いから、サラダに○〇を入れてみましたがどうでしょうか?」
とこの言葉がなくたって、感じ取れる感覚値があるとよりありがたみが増スのだと思います。

いや、ひょっとすると全てのことにおいてそうなのかもしれないですね。

金環皆既日食という珍しいものについて知識があるかないかで受け取り方が異なる。

インフレ率が8%あがるというニュースを聞いてどういう受け取りをするのか?

こういう単に見過ごしてしまいそうなものについても、なんらかの知識があると自分の中で引っかかって、頭で考える。
そうこうしているとどこかで、稲妻が走る。

このために勉強をいっぱいすることが望ましい。
勉強っていうのには、単に勉学的なこと以外も全てであって、経験を重ねる、初めてのことにチャレンジする、と広い意味で勉強をすることを捉える。

というのが、成人してから「大学に行っとけばよかったな」って思うので、より早く気づいてもらえらたという親のエゴでもありますね。

けど今やっぱりこうやって勉強して、ああこういうことなんだって思って、何かがつながって、発見して、面白いなって、その瞬間に立ち会うことが脳内ドラッグで快感を生んで。

また勉強するというサイクル。

そうしていると、もの喜びできる人というのは、どんなことでも気がついて、閃いて、そういうアンテナが醸成されていって、より得をする方へ、運がいいと思われる方へ傾いていくのだと思いました。

これをうまく伝えていこう。

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