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<辻邦生に影響を与えた作家たち>北杜夫/短編『岩尾根にて』自分とひとりの登山家との、曖昧な意識の交錯

このnoteでは、辻邦生という小説家をより多角的に理解していただくために、彼に影響を与えた作家の作品についても取り上げていきます。まずは北杜夫さんです。




1.最初に北杜夫さんを選んだ理由

実は、辻邦生さんに直接影響を与えた作家としては海外の人たち⎯⎯なかでもフランスの作家⎯⎯を一番にご紹介すべきではないかと、ずっとそのつもりでいました。例えば東大の卒論のテーマに選ばれたスタンダールとか、ご自身のエッセイや、他の人による解説文に必ずといっていいくらい出てくるプルーストなどです。
しかし、僕がもともと海外の作家は得手ではなく、なかんずくプルーストの『失われた時を求めて』など、その膨大な長さから言って簡単に取り上げることができるものではありません。

(フランス文学以外ではトーマス・マンを外すわけにはいきませんが、マンについては辻さんご自身が評論を書かれているので、そちらのレビューのあとにしようとおもっています。)

辻邦生さんのトーマス・マン評論と『魔の山』/takizawa蔵書


そういった理由から海外の作家から入るのは断念し、日本の作家に眼を向けることにしました。ご自身のエッセイによれば、学生の頃には志賀直哉を丹念に書き写しておられたとか、芥川龍之介を全作品読み漁ったとか、いろいろと出てきます。他にも、世に出るにあたって後押しをされた、雑誌『近代文学』埴谷雄高氏、その作品からいろいろ学ばれたという福永武彦氏、直接的な関係はなかったけれど、同い年で常に意識はしておられたという三島由紀夫氏など、あげればきりがありません。逆に言えば、改めて辻邦生さんの読書量に舌を巻くおもいです。

そんな中、つい最近、インスタに毎日あげている蔵書記録のために北杜夫さんの書籍を撮影しました。読み返しながらはたとおもい至ったのです、ここで最初に書くべきは北杜夫ではないかと。

辻邦生さんと北杜夫さんの関係については、ここで僕が改めて言うまでもありません。旧制松本高校時代からお亡くなりになるまで、作家として互いに切磋琢磨してこられた仲です。僕が辻邦生という名前と作品を知ったのも北杜夫さんからであり、むしろ彼の名を一番に思い浮かべるべきでした。

ただ、北杜夫さんについては、辻邦生作品に直接の影響を与えたというよりは、その生涯にわたって共に作家人生を見つめ続けた間柄、というおもいが僕にはあります。加えて、ふたりがあまりに近すぎる、という感じもしないではない。辻邦生さんが作品を書く上で、思想なり、タッチなりといった影響を受けたかといえば、どうもそれとは違うという気がするのです。なので、対談集や往復書簡も常に目につくところにありながら、北杜夫という名が思い浮かばなかったというのも、僕としてはまあ、我ながら理解できると(妙な言い方ではあるけれど)言わざるを得ない。

対談及び往復書簡/takizawa蔵書


それでもやはり、辻邦生を語る上で誰を置いてもと言われれば北杜夫さん以外にはあり得ません。辻邦生さんの前に僕が影響を受けたのが北杜夫さんだということもあるので、まずは北杜夫さんにしようと決めました。

ただ、北杜夫さんの場合も『幽霊』とか、あるいは『楡家の人びと』などは結構な長編です。今は辻さんの次の長編にかかっているところでもあり、そういったことで、辻邦生レビューと同じように短編からご紹介することにしました。
そんなわけで、一番目は初期の短編『岩尾根にて』を取り上げます。


2.『岩尾根にて』について

①作品の外観とあらすじ

発表年/1956年
短編『岩尾根にて』は1956年の『近代文学』1月号に発表された、ごく初期の作品です。雑誌『近代文学』は埴谷雄高氏などによって終戦直後に創刊された、戦後の日本文学に多大な影響を与えた文学雑誌でした。辻邦生さんによれば、辻さんに埴谷雄高氏を紹介したのが北杜夫さんだったということで、辻さんと『近代文学』との関係についてはこちらで紹介しています。


この作品については北杜夫さんも自信を持っておられたようで、これを『近代文学』に推薦してくれたのが評論家の奥野健男氏だったこと、同誌に掲載された4作のうち、これと『羽蟻のいる丘』などを、

私の短編の中で一番よいのではないかと思っている。

と、『北杜夫全集/第一巻 牧神の午後・少年』 新潮社 の付録「創作余話(5)」に書かれています。

北杜夫さん、辻邦生さんが出られた旧制松本高校は長野県松本市にあったことから、お二人とも当然のように山をやられたようで、本作にはチムニーやオーバーハングといった登山の専門用語が使われています。その意味では、例えば新田次郎氏の山岳小説と同じ部類に入れられそうな気もしますが、山そのものがテーマというわけではありません。

話は単独登山の途中、「私」が岩壁から落ちたと思われる墜屍体らしきものを見かけるところから始まります。屍体には黒蠅がいっぱいたかっていて、「私」はそれを避けるように下り、道端に腰を下ろして今来た方を見上げると、その向こうの垂直の岩壁に男が裸足で取り付いているのが見えました。岩壁を廻るようにして「私」が山頂に辿り着くと、男がコッヘルでコーヒーを沸かしています。「私」はすすめられるままにコーヒーを口にするのですが、山頂に至るまでのあいだウイスキーを飲んだこともあって、次第に「私」と男との会話はどちらがどちらのものか、朦朧としたものになってきます・・・

短い小説で、新田次郎氏の小説のように、具体的な地名やそこまでのリアルさがあるわけではありません。どちらかと言えば<心象小説>と言っていいかもしれません。

新田次郎/takizawa蔵書


②黒蠅のリアリティと男との会話の曖昧さ

そこまでのリアルさがあるわけではない、と言ったけれど、屍体にたかる黒蠅には不気味なリアリティがあります。もともと北杜夫さんが昆虫に詳しいといったこともありますが、後半での男との会話の曖昧さが、黒蠅の飛び立つさまと比較されて妙に不安な印象を読者に与えます。

ふいに、四、五メートル先の這松はいまつの茂みから、想像を絶した数限りない蠅の群がわきたった。黒い生臭い雲が、いきなり地表から立ちのぼったかに思われ、底ごもりした唸りと共に、その雲は上下にゆれ、左右にひろがり、やがて一匹一匹の蠅の姿が見わけられ、大部分は元の場所に舞いおりたが、幾匹かは私の衣服にもとまった。ゆすったくらいでは飛びたたない。さきほどの匂いが、だしぬけに強く鼻をついた。強まってみると嫌な臭気である。と思ううちにそれは消え、もう私の嗅覚には何も伝わってこなかった。

「あなたは岩をやりますか?」
長い沈黙のあと、どちらかが言った。これから記す会話は、きれぎれにしか覚えていないし、どちらがどうしゃべったのか、実際のところ私にはわからなかった。しかしとにかく、次のような言葉を私達は口にしたのである。
「岩ですか? もうやりたくないですね。こわいですから」
「墜ちるかも知れないっていうことですか?」
「ええ、はじめ岩にとりつくときにはね。しかし、だんだん登ってゆくと・・・」
「なんていうのか、自分のリズムが感じられてきますね」

いずれも『北杜夫全集/第一巻 牧神の午後・少年』 新潮社/「岩尾根にて」より

前半の黒蠅のリアルな描写と、後半の会話の始まりとを並べてみました。後半の会話はここからラストまで続き、ひょっとしてあの墜屍体は・・・と、読者に一層不安な感じを起こさせますが、それを直接示唆しているわけではありません。しかし、この全体に何か霧のかかったような感じ、というか、ひやっとする雰囲気は、北杜夫さんの純文学そのものに通じる特徴のような気がします。


3.本作から僕がおもうこと

辻邦生さんの短編に『見知らぬ町にて』という、それこそ心象だけのような作品があり、舞台も登場人物も、もちろん書かれた時期も全く違うにも関わらず、『岩尾根にて』を読みながら、僕はそちらを思い出していました。それは、辻邦生さんがここから影響を受けたかもしれないといった具体的なことではなく、描こうとしているイメージ的なもの、とでも言えばいいかもしれません。それも僕の勝手な印象であり、人によって、全然違うよ、と言われるかもしれません。けれど、どこかに共通する何か⎯⎯当人たちも気づいていないような⎯⎯が、あるような気はするのです。

それはともかく、『岩尾根にて』は北杜夫さんの最初期の作品であり、作家としての方向を暗示する作品だったことは間違いないとおもいます。加えて、ジャンルとしてそこにきっちり含まれるものではないにしろ、山岳小説的な位置付けにおいても、僕が好きな小説のひとつなのです。




『岩尾根にて』収録作品
・夜と霧の隅で (新潮文庫) 1963年




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