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『ある生涯の七つの場所2』/夏の海の色 第二回 「海峡」 戦争とは、平和とは?

連作短編『ある生涯の七つの場所2/夏の海の色』第二回になります。第一回及び『ある生涯の七つの場所』については以下をご覧ください。

今回は、「黄いろい場所からの挿話」「赤い場所からの挿話」それぞれ三つずつの短編の中でも、特に「黄いろい場所からの挿話Ⅻ.海峡」について書きたいとおもいました。
今このときも、世界のあちらこちらで戦争が続いています。「海峡」は例によって直接戦争を扱った作品ではないけれど、読み終わったとき、今も続いている戦争について、どうしても考えないわけにはいきませんでした。なので、今回はまず「海峡」についての感想からです。




1.「黄いろい場所からの挿話Ⅻ」

Ⅻ.「海峡」

日本人の「私」と恋人のフランス人学生エマニュエルは、エマニュエルと同じ学校に通っていたウタ・シュトリヒが学校をやめて故郷に帰るというので、一夏をウタの住む北の街にほど近い海沿いのパンシオン(下宿屋)で過ごすことにします。それまでにも「私」とエマニュエルは、<本当の生活>ということについて話し合ってきたのでした。<本当の生活>について、作品中ではこう書かれています。

都会では、自分がする前にすべて他人がやってくれた。スポーツも自分で楽しむのではなく、他人のやるのを見るのだった。旅行も他人の歩いた記録を読むだけだった。雑誌や映画やラジオやTVがすべて私たちのかわりに生活してくれて、私たちは部屋でただのらくらしているほかなかった。生活ではなく、生活の幻影を追って生きているのだった。私はいつだったか、ふと、このことに気付きはじめると、その後、都会では、自分で生活を試みる機会がいかに少ないかにしばしば驚かされたのだった。

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「海峡」より

『夏の海の色』の刊行は1977年です。50年近くも前に書かれたとはおもえないような見識に、(少なくとも僕は)忸怩たるおもいを抱かずにはいられません。

こうして二人は海峡の見えるパンシオンで暮らすことになるのですが、その部分はまあ、海で泳いだり魚を捕ったり、上記の考えを口実にただ遊び呆けているようにしか見えないのですが。

ところでウタの父親は、海峡を渡る連絡船の船長を生業にしていた人でした。美しい妻と娘にも恵まれ、仕事も順調で、ささやかではあるけれど何不自由のない、誰の目から見ても幸せな暮らしのはずでした。そんな父親が突然自殺してしまったのです。2年前のことだった、とウタは二人に話します。

突然、父が死んだので、私ね、自分が信じていたことに自信が持てなくなったのね。だって、愛する人がそばにいるとき、人って、自殺なんかできないでしょうからね。

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「海峡」より

そう言うウタを慰めるように、エマニュエルは自分の生い立ちを例にとって「そんなこともあるかもしれない」とは言いますが、父親が自殺した理由は「私」たちにもわかりません。ただ「私」は、何一つ事件らしい事件も起こることのない、毎日こちら側と対岸を行き来するだけの連絡船の船長の生活に思いを馳せて、その単調さにふと不安を覚えるのです。そして、そこに潜む虚無感に父親は絶望したのではないか、と、そのときは考えるのですが。
もしそうであったならば、この話はさほど感銘も受けることのない、ひとつの小さな物語として記憶にも残らなかったでしょう。でも真実は違いました。そこには例のスペイン内戦が、深く影を落としていたのです。

「黄いろい場所からの挿話」ではこれまでもスペイン内戦を示唆する記述はそこかしこに出てきましたが、本作に至って初めて、「ガルシア・ロルカが死んだ戦争」という言い方で明確にスペイン内戦のことが出てきます。

ガルシア・ロルカ。
スペインの詩人・劇作家で、自由平等をうたった作品のため、右派のファランヘ党によって銃殺されました。『ジプシー歌集』が有名で、戦後彼の作品の翻訳が出たときは、三島由紀夫も激賞していたそうです。

その内戦では、右派の反乱軍もそうでしたが、左派の人民戦線(共和国軍)も決して一枚岩ではなく、特に各国から参戦した人々には当初の思いとは違ったという、裏切られたような出来事が多々あったようです。そして、ウタの父親もまたこの戦争に参戦し、失意のうちに故郷へ戻ってきていたのでした。そのことを、ウタも全く知らなかったのです。
期待を持って参戦し、裏切られ、故郷へ戻ってきた父親は、毎日の平穏な生活に一生懸命であろうとすればするほど、共に戦った人々から、あの命を掛けた戦争から、自分が離れ去ってゆくように感じたのではないか⎯⎯そう「私」は想像するのです。

話の最後に三人で対岸の蚤の市のような市場へ買い物にゆくシーンが出てきます。そこでアンティークの椅子を求めた「私」は店主の老人に値を聞くのですが、老人は耳が遠く、なかなか声が届きません。

私は何度でも同じ問いを繰り返した。人々が集まって物を売ったり買ったりすることが、これほど楽しい、心をはずませることであるとは、それまで考えたことがなかった。
私がエマニュエルを見ると、彼女は、眩しそうな表情で笑い、黙って、首をかしげていた。
市の賑わいはなおつづいていた。

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「海峡」より

この最後のシーンで、僕はあやうく落涙しそうになりました。初めて読んだときとは違い、あたかも大戦前のような様相を呈してきている昨今の世界情勢をおもって、ごくあたりまえの生活が如何に大切なものかを考えずにはいられなかったのです。


2.「黄いろい場所からの挿話Ⅹ・Ⅺ」

「海峡」以外の作品についてはその要点のみ押さえていきたいとおもいます。

Ⅹ.「凍った日々」

エマニュエルと「私」、「私」の友人の根室茂男と別れた妻、「私」が寄宿するペーター・マイヤーと妻のカタリーナ、ペーターの弟の小説家とその妻ヘルガ。4組の男女とそれぞれの人生観、恋愛観、結婚観が交錯する物語です。女性は愛する男を置いてなぜ家を出てゆくのか、恋愛とは別のところでなぜ別の男と結婚するのか? 自分たちのことを考えながら、「私」と根室がペーター・マイヤーとその弟、そしてヘルガについて思いを巡らす、そんなストーリーです。このとき、「私」とエマニュエルはまた離れている、というのがポイントですね。
ペーター・マイヤーが根室の、妻はなぜ自分の食事の用意をしておきながら出て行ってしまったのか、という疑問について答えた台詞をあげておきます。

女性は、頭に持っている愛と、状況の中から生れた混沌とした生活の欲求とを、取り違えることもないし、一つにすることもできない。おそらく生物学的に女性のほうが、より生命維持に大きな役割を持っているからだろう。彼女が慎ましく家を出、君の夕食の用意までしたのは、君を愛していたからだ。しかしそれにもかかわらず家を出たのは、彼女を惹きつける生活の欲求があったと思うほかない。(略)女性には・・・(略)・・・日々の暮しの細部が要るのだ。それは愛などより、女性にとっては、はるかに大事なものだ。しかし男にとって意味があるのは、愛だけだ。

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「凍った日々」より

今こんなことを口にしようものなら、きっと平気ではいられないでしょう。しかし少し前までは、こうしたことが小説のテーマになり得る時代があったのです。

Ⅺ.「古い日時計」

エマニュエルと「私」がいるのは、両親の代わりにエマニュエルの面倒を見てくれた乳母の家です。エマニュエルの両親はなぜエマニュエルを置いて出て行ったのか。ここにも、今に通じる問題定義があります。乳母の家のある村の教会の司祭、ブリネ神父から、エマニュエルは両親の気持ちを教えられます。エマニュエルの母親も、エマニュエルのようにシリアの考古学を専攻していました。

お父さまはあなたを欲しかったのだ、と言われました。しかしあなたが生れると、お母さまはご自分の仕事をお捨てになりたいと仰有った。つまりお父さまにしてみれば、あなたを欲しがったために、お母さまの仕事を邪魔して、それを中途で駄目にしてしまうと考えられたわけですね。あなたがあまり可愛いので、お母さまも、考古学をつづける意味などまるで感じなくなった、と言っておられたそうです。
(略)
『もしお前がエマニュエルのために、いま仕事を打ち切ったら、お前は、後になってこの子を憎むようになるよ』お父さまはお母さまにそう言って、あなたをここに預けることに決めたということです。

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「古い日時計」より

そして教会の庭にある日時計は、昔の生活や純粋な愛の象徴でした。

写真はイメージ

ただ、この話の本筋はそこではありません。街で殺人を犯し、この村に逃げてきた男を、どうやらブリネ神父が逃がそうとしたようなのです。が、そのこととエマニュエルの話と何の関係があるのか、その点がわからない、何か不思議な物語です。


3.「赤い場所からの挿話Ⅹ・Ⅺ・Ⅻ」

幼年期・少年期の「私」はすぐに終わってしまったけれど、中学に入ってからは進み方がゆっくりになりました。この三作で中学2年・3年のエピソードです。

Ⅹ.「水の上の顔」

他校の上級生でバロンという綽名の大沼直衛と偶然知り合いになり、撞球場のお内儀さんと三角関係になる話。大沼はそのお内儀さんに惚れているけれど、お内儀さんは「私」が死んだ弟に似ているという、それだけで気になっている。そして、もとより「私」はむしろそれを迷惑に思っているくらいです。大沼家は華族で、直衛も成人した暁には男爵になる身だとか、時代を感じさせます。

Ⅺ.「祭の果て」

転任してきた国語教師の安藤甚三とその妻、「私」と、小説を書いている叔父。微妙に交錯する生き様が何となく切ない物語です。

安藤は気が弱く生徒にも馬鹿にされる教師ですが、「私」は安藤に親密感を覚えて彼と親しくなります。結核療養所にいる母が退院しそうだというので、たまたま空いていた安藤の家の離れを「私」は借りることになりました。後押ししたのは小説家の叔父で、彼も今の住まいを引き払って「私」と一緒に住むことにします。
安藤の妻はこの地で老舗の寿司屋の娘で、安藤とは真逆のしっかり者。寿司屋ということで、祭の日にはその若衆も集まって賑やかに過ごすのですが、その晩出かけた縁日で、「私」は叔父と妻が手を繋いでいたのを見たように思ったのでした・・・

最後になって、安藤甚三は突然家を出て失踪してしまいます。その理由は全く語られません。叔父と妻のことは「私」の見間違いだったのか? そのことを安藤が知っていたはずはありません。ただ、安藤と妻とのあいだに子がなかったこと、安藤が「私」に、子どもを亡くした男が遊園地で遊ぶ子どもの幻影を見るという小説が書きたい、と言っていたことが語られるのみです。

写真はイメージ/撮影takizawa


Ⅻ.「彩られた雲」

中学三年になった「私」の初恋。「祭の果て」で借りた安藤甚三宅の離れは安藤の失踪と母の退院が延びたことで居づらくなり、早々に退くことになりました。今回は母も退院し、新しい借家で叔父と三人で暮らすことになります。その借家のある界隈に住む少女に「私」が恋をする、そんなストーリーです。

三つの物語の中で、「私」は上級生の大沼たちとタバコも吸えば、撞球場のお内儀さんにビールをすすめられたりもします。といって、年齢はまだ14、5歳なのですが、タバコはともかく、今とは違って扱いはもうすっかり大人です。僕が中学に上がった頃でさえ、三年生といえば、その佇まいも話す内容も全く大人のようでした。
時代の異なるものを読む場合、法律とか道徳観念とか世間の常識とか、今とは全く違うという点をまず念頭に置いておくことが必要でしょう。そうした土台があって初めて、どの作品も成立しているのです。懐かしさの一端はそんなところにもあるのではないでしょうか? 

ちなみに「赤い場所からの挿話」を読みながら、僕は井上靖氏の『しろばんば』や『夏草冬濤』を思い出していました。




【今回のことば】

「日時計は私たち人間の全生活が昼と夜、天候、季節と深く結びついていたことの証しであり、その名残です」神父は二重顎をひくようにして言った。「私たちは昼と夜が指し示す通りの生活をしました。朝早く目覚め、昼は働き、夜は休みました。夜働く者はなく、昼、光のない地下街で働くなどということもありませんでした。雪の日、風の日、私たちは厚い壁のなかで、それに耐えました。雷鳴に怯え、雪の日には、煖炉の火が、おいしいご馳走と同じでした。日時計の時代は、人間の愛も豊かでした。それは家族や村の人々と結びついて感じられていたからです。切りはなされた現代の愛は、孤独です。ちょうど現代の都会生活に季節がなく、昼も夜もないように」

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「古い日時計」より




『ある生涯の七つの場所2 夏の海の色』
・中公文庫 1992年


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