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『音楽が鳴る場所と、そこから見える政治性』 - 海外ツアーカメラマンの経験を通して -


「俺は日本語が分からないから、今から見せる日本のバンドでナショナリズムやファシズムを扇動するようなことを歌っているバンドがいれば教えて欲しい。もしそういうバンドがいれば、俺はそのバンドを今後一切聴かないから。」ドイツのホーンでのライブの翌朝、イベント主催者が20枚近くのCDを自室から持ち出してきて、ヨーロッパツアーにやって来た沖縄のスラッシュフォークバンド「アルカシルカ」のメンバーに尋ねていた。

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(2018年夏、ホーンで撮影)

 僕は沖縄を拠点にして、普段はMVを作ったりライブ映像を撮ったりしているのだけれど、その活動を通して2016年から現在までにかけて、バンドのヨーロッパツアーに3回、カナダのフェスに1回、中国ツアーに1回カメラマンとして帯同したことがある。そうした経験の中で、特にヨーロッパと日本のバンドシーンを比較した時に、一番違いを感じる部分は政治や人権に関する意識の高さだった。ツアーを廻っていると、毎日のように政治的な事柄は目にしたり耳にしたりするし、最初に書いたような場面にも出くわしたりする。

ちなみに、僕が2019年に遊びに行ったチェコのFluff Festという野外エモ・ハードコアフェスでも、人種や性の平等などを訴える❝ SOCIAL RACIAL GENDER JUSTICE NOW!! ❞というスローガンが掲げられ、ステージ横にはレインボーフラッグがあった。また、来場者が自由に寝泊り出来るキャンプサイトでは、ANTIFA(アンティファ)の旗を掲げているテントも見つけることが出来た。

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(2019年、Fluff Festで撮影。フランスのバンドSPORTのライブ)

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(2019年のFluff Festポスター、”SOCIAL RACIAL GENDER JUSTICE NOW!!”のスローガンが書かれている。)


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ヨーロッパはかなりグラフィティアートが多くて、治安の悪さなどは特に関係なく、訪れる街の至る所でストリートグラフティを見つけることが出来る。

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(ドイツのドレスデンで見つけたグラフィティ)

グラフティに目をやりながら街を歩いていると、政治的なメッセージも同時に見つけることは、珍しいことではない。例えば、ドイツのライプツィヒでは街中で「1312」という数字の並びを見つけることがしばしばあった。

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この「1312」というのは、アルファベットの並びと対応していて、それぞれの数字が以下のアルファベットを示している

1→A
3→C
1→A
2→B

つまり、1312はACABを表していることになるが、これは「All Cops Are Bastards(警察はみんなクソ)」というフレーズの頭文字を並べたものだ。他にも161「Anti Fascism Action(反ファシズム・アクション)」なども見つけたりした。

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ちなみに、こうしたメッセージはライプツィヒだけに限らず、僕らが今まで訪れたヨーロッパの各地で見ることが出来た。

とは言っても、ライブツアーで廻っているということもあり、僕らが訪れているのは、ヨーロッパの中でもパンクカルチャーが根付いている地域に偏っていたとは思っている。特にライプツィヒに至っては、街を歩けば2人に1人はモヒカンかドレッドのパンクスに出会うというような状況だった。ちなみに、そんなライプツィヒ中でも最もパンクスが集まる一帯では、ネオナチなど極右系の人はもちろん、警察も立ち入ることが出来ない「パンクス通り」もあったりした(ライブもその通りにあるスペースで行われた)。あと、ヨーロッパの建物には番地が分かるように、プレートが張り付けられているんだけど、警察への目くらましのために、パンクスが多く住む区画では番地プレートが全て引っぺがされてて笑ってしまった。国家権力より市民が強い街。

こう話すと、治安の悪い危ない街だと思う人もいるかもしれないが、少なくとも僕らのような外から来た人間が街を歩いていても、特に怖い目に合うことは無かった。ただ、差別やファシズムを先導する行為を許さず、人権意識を高く持ち、権力に頼りすぎずに自分達で出来ることは自分達でやる、助け合いの精神が根付いている街なのだという。

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ちなみに、上記で挙げたような政治的なメッセージは、ヨーロッパのパンクシーン以外の場所でも出会うことはあった。例えば、2019年の6月に沖縄のバンドHARAHELLSとカナダはカルガリーのフェスSled Islandに参加した時がそうだった。

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(2019年Sled Islandのポスター)

HARAHELLSのカナダ公演は、Tubby Dogというホットドッグ屋さんからスタートした。

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Tubby Dogは見た目も味もかなりベビー級なホットドッグを提供しているポップなお店で、店の奥にライブができるスペースがある。見た感じは、地元の人に人気なホットドッグ屋さんという雰囲気だった。実際に、この前日に仲良くなったカルガリー在住の3人組もこのお店のことは良く知っていて、オススメのメニューを聞いたりした。

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写真からも伝わるかもしれないが、Tubby Dogは僕が今までのヨーロッパツアーで訪れたような、パンクスやアナキストが多いアンダーグランドな雰囲気が漂うスペースとは明らかに違っていた。そもそも、Sled Island自体、様々なジャンルのアーティストが出演するフェスではあったが、どちらかというとインディーロックやオルタナ寄りな感じで、特別パンクをフューチャーしているイベントではない。しかし、Tubby Dogの入り口付近のカウンターでは、このようなメッセージボードが飾られていた。

訳するとだいたいこんな感じ


NO SEXISM.(性差別反対)
NO RACISM.(人種主義、人種差別反対)
NO HOMOPHOBIA.(同性愛嫌悪反対)
NO TRANSPHOBIA.(性同一性障害者/トランスジェンダー嫌悪反対)
NO AGEISM.(年齢差別反対)
NO ABLEISM.(身体障がい者差別反対)
NO HATEFUL LANGUAGE OF ANY KIND. HAVE FUN!(いかなる種類の差別的な言葉に反対。楽しもう!)

今までパンク的なスペースにばかり行っていたので、こうしたメッセージを海外で見ること自体は当たり前になっていたが、パンクシーンとは少し違う場所で反差別に関するメッセージを見つけたのは、個人的に印象に残った。ちなみに、HARAHELLSが3日目に演奏したBARも、初見でも入りやすそうな広々としたライブバーだったが、そこでも同じようなメッセージが店内に掲げられていた。写真は撮ってないけど。

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 ちなみに今回書いている内容は、2019年8月に沖縄のオルタナティブスペース「ネオポゴタウン」のイベントで話したことをベースにしているのだけれど、そのトークイベントの際「こういう風に目につきやすい場所に、反差別を掲げるメッセージが色んな所にあるっていうことは、それだけ差別があるということ?」という質問を頂いた。これに関しては、僕も各地に1,2日訪れた程度なので、それぞれの地域で差別がどのレベルで身近に溢れているかは正直分かっていなけど、基本的には以下の2つのように考えている。


1.

 推測だけど、反差別のメッセージを掲げる大きな理由は「差別的な人が多いから」ではなく、そのスペースやコミュニティーが反差別の姿勢を取っているということを示すためのアクションの1つではないかと考えている。もし実際に、このお店や周辺の地域で差別があまり無かったとしても、世界中で差別に苦しめられている人達が多くいるというのは事実であり、そこに気づいている人間がNOと言わなければ、ある意味見てみないふりをしているのと同義になってしまうのではないか。つまり、差別の存在に対して、物理的な距離と関係なく当事者意識を持つことが重要ということだ。だからこそ、差別が近くであろうが無かろうが、メッセージを掲げる意味はあるのだろう。あと、今年の4月に星野源さんの動画が安倍総理によって明らかな政治利用をされた時に思ったのだけれど、普段からノンポリのように見えたり、政治的な立ち位置を明確に示してないと、予期せぬ形で政治利用されてしまうリスクもあるということも分かった。そうしたことも踏まえると、僕がカナダやヨーロッパでみた例は、各地域の音楽を中心としたカルチャーの政治的な立ち位置がはっきり分かるようになっていて、彼らが望まない政治利用のリスクを避けているようにも思える。


2.

 また、メッセージによって可視化されることで、その場所に関わる人々の政治や差別・人権に関する意識が高まるということも考えられる。例えば、ホモフォビア(同性愛嫌悪)やルッキズム等が未だに日常生活レベルで溢れている日本では、それなりに意識を高く持っていないと、そもそもそれが差別であることすら気付かないということも多くあるだろう。例えば、「何で彼女作らないの?お前もしかして“コッチ”なのか〜?笑」みたいなノリだったり、所謂"オネエキャラ"のマネをしてウケを狙うような流れが、未だにテレビでも日常会話でも普通にまかり通っていたりする。しかし、同性愛者は異性愛者の好奇心を満たすための存在でも、ちょっとした笑いのネタにされるための存在でも無い。当たり前のことなんだけど、やっぱり今の日本がそれを許してしまっている環境だから、声に出さないと気付かない人はまだまだ多いと思う。逆に言えば、どんどん声をあげたり、日常レベルで反差別に関するメッセージを目にするような環境になれば、差別問題に対する意識が高まる可能性はあるのかもしれない。僕もTubby Dogでのメッセージを見るまで身体障がい者に対する差別を「Ableism」と呼ぶのは知らなかったので、ひとつ勉強になった。


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 そもそも差別や抑圧は、必ずしも分かりやすい形や目に見える形で現れるとは限らない。先程あげたホモフォビアに関してもそうだけど、環境や立場によっても差別の見えやすさはかなり異なるし、不平等な状況を強いられることは日常レベルで溢れている。そして、差別や抑圧的な行為が必ずしも悪意をもって行われているとも限らない。思えば僕も子供の頃から、何かと「〇〇するのは男らしくない」みたいなことを言われる場面は沢山あったし、今考えるとそれは問題だって分かるけど、その時は言われている僕自身も、その言葉を発している方も、日常的に聞き慣れたそのセリフが持つ不平等さや、誰かの自由を縛る可能性に気づかず、誰も疑問を投げかけることはなかった。

「良い年なんだしそろそろ結婚したら?」「女の子なんだからそういう言葉遣いは...」「男はしっかり稼いで家族を養え。」「マナーのなっていない中国人!」「あんな美人な奥さんがいて不倫するなんてありえない。」「そういうのあんまりモテないよ?」「ハーフなのに英語話せないんだ?」「鏡見てから言え」「女子力高いね~!」とかもそう。


 地域特有の話をするなら、沖縄で生まれ育った僕らにとって、米軍基地があるのはもはや当たり前の景色で、基地問題も常に選挙の時に争点になる。だけど冷静に考えて、他国の基地のために沖縄に住む僕らが必要以上に悩まされたり、意見が分かれて「沖縄 対 日本 or アメリカ」、または沖縄の中でも「賛成派 対 反対派」という構図で分断させられたり、ネット上で「これだから沖縄の奴らは~」と好き勝手書かれるのはどう考えてもフェアじゃない。低所得で、失業率も離婚率も高い沖縄はもっと議論されるべき問題が沢山あるはずなんだけど、どうしても基地問題が大きな枷になってしまっているのではないか。でも、その不平等な状況が当たり前になっているし、僕を含めた今沖縄に住むほとんどの人が、基地のない沖縄の風景すら知らないだろう。

 日常レベルの刷り込みや習慣、そしてもっと深刻なものまで、抑圧や差別というのは至る所に存在するし、まるで呪いのように僕らの自由は気づかないうちに奪われてしまっている。映画でも小説でもないノンフィクションの現代社会では、誰にでも分かりやすく用意された「悪者」がいるとは限らない。だからこそ、気付いた人は声をあげる必要があるし、人目に付く場所にメッセージを掲げる必要もあるのではないか。

とは言え、もしかしたらヨーロッパやカナダのように「反対メッセージ」を至る所に掲げる流れを窮屈に感じる人もいるかもしれない。意図してなくても人を傷つける可能性があるのって、ちょっと怖いしね。でも別に、間違った言動をしたらその時点で終わりということじゃないし、間違ったりした時や、悪かったなと気付いた時にその都度直したりしていけば、それで良いと僕は思っている。誰にも完璧はない。もっと言えば、何が正しくて何が正しくないかも、時代や環境によって変わるのだから、絶対的に正しいものはそもそも無いと考えた方が窮屈にならない。思い返せば僕もたくさん間違えてきたなと思うし、それを正当化しようとも思わない。そして当時嫌な思いさせてしまった人は本当ごめんね。


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実際にツアーをしていくと、人権や差別について考えさせされる場面は多くある。一緒に廻っていたアルカシルカのYOUさんもそのことについては、セルビアでの例を踏まえてnoteに書いてくれているので、興味がある方はぜひ(以下リンク参照)。

ちなみに今回の投稿、本当は去年の9月に書き進めていたものなんだけど、長い間下書きにしまっていたため、このタイミングでやっとの投稿です。つまり本当はコロナ以前に書いていた文章なので、一応再編集はしているけど違和感があったらすみません。


 ここからはちょっとオマケになるけど、個人的にヨーロッパのパンクスペースに訪れると毎回どこかしらで、日本のアニメや漫画のキャラクターがステッカー・フライヤーなどに使われているのを見つけることが出来て面白い。そして、もちろんそこにも意味がある(※ 無い時もある)。例えば、ライプツィヒで訪れたBLACK TRIANGLEというスクウォットは印象的だった。

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 ※スクウォットとは「空間占拠」と呼ばれるもので、廃墟などを所有者の許可など無しに占拠することを指す。また、単純に占拠するだけではなく、居住スペースやBAR、ライブスペース、インフォショップなどを作り、自分たちでコミュニティを形成していくアンダーグラウンド文化のひとつである。バンド(特にパンクに関わる音楽)のヨーロッパツアーでは、こうしたスクウォット施設でライブすることは珍しくなく、僕らもツアーで各地のスクウォットを実際に訪れている。スクウォット文化に関しては、現在年内の公開を目指してドキュメンタリーを制作中。そのうちnoteでも少し詳しく書こうかと思うので、興味のある方はぜひ覚えておいて欲しいです。


BLACK TRIANGLEの入り口には、何故かワンピースのルフィが描かれていた。

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何でルフィなのかと聞いたところ、「みんな知っているから」というのと、「海賊だからね」とアルカシルカのツアーをコーディネートしてくれたグレゴールが説明してくれたのは、めちゃくちゃ面白かったのを覚えている。確かに、ルフィは海賊だし、政府とバチバチだし、どう考えてもアナキストで間違いない。

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上の写真は、クロアチアはザグレブのスクウォットで見つけたもの。AKIRAの金田だが、金田がANTI FASCISMのアイコンとして使われるのは、ワンピースの例からしてもかなり納得がいく。

日本人がAKIRAやワンピースを観た時に、同じようにアナキズムと関連付けてみることはかなり少ないだろうなと思うのだけど、どうだろう?同じ作品を観ていても、捉え方が違うのは興味深いし、金田は若干あり得ても、ルフィをカウンターアクションの象徴に使うのは日本だと無いだろうなと思う。

もちろん、「なんでアニメとか漫画のキャラクターを使うの?」っていう質問もしたことあるんだけど、たしか「子供のころから、日本のアニメを観ている人はヨーロッパにも多くて知られているし、カッコいいと思われているから」ってグレゴールさんとか、セルビアでパンクZINEを作っているお兄さんは言ってたかな(たぶん)。このあたりの流れも個別に調べてみると面白そう...。たしかにヨーロッパにいるとどこかしらでアニメの話をする機会は多い。


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 少し話もそれてきたので、今回はこの辺で終わりにしたいと思う。日本の音楽シーンでは、政治や人権・差別問題などについてフラットに発言できない雰囲気をまだ感じているし、実際にライブハウスやバーやクラブなど音楽が根付いている場所で今回紹介したようなメッセージを見ることもあまりない気がしたので今回の投稿をしてみた。もちろん、今回紹介したカナダやヨーロッパのシーンで行われていることが全て正しいと思っているわけではない。ただ、違う文化に触れ、自分たちの文化や社会と照らし合わせて考える機会を持つことは、個人的に大切なことだと思っている。

とはいえ、僕が今まで見てきた海外のシーンというのもアンダーグラウンドのパンクシーンが主なので(特にヨーロッパ)、当然経験の偏りもあるでしょう。だから、逆に「あの場所のこういうシーンでは事情が違ったよ!」とか「このスペースも面白かったよ!」的なのがあれば、超教えて欲しい...!一緒に情報交換しましょう。
 今年は流石に海外ツアーに出るのは厳しそうだけど、やっぱり毎回外に出る度学ぶことは多いので、また知らない場所で知らない人達とライブが観れると良いな。

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