やさしい日本史授業Season1~かしこい男編~
おはヨーグルト!カテキンです。
前回の話、覚えてますか?
大伴vs物部vs蘇我の激アツバトル。
今日はそのバトルの勝者がどこまで力をもったのかをお話ししようと思います。
では。
最初の脱落者
西暦540年。
大伴氏のリーダーである大伴金村のワイロが明らかになりました。
ワイロというのは、えらい人が誰かからお金を受け取って、その人にだけひいきをすること。
これがバレたら、人から信用されなくなるので、当然力を失ってしまいます。
大伴氏、脱落。あっけないね。
蘇我vs物部
このとき日本に仏教が入ってきました。
仏教っていうのはずっと昔にインドで生まれた教えで、インド→中国→朝鮮半島→日本というように時間をかけて伝わってきた。
だけど日本人にも、みんなが信じている神様がいました。
「仏教をとりいれる?それとも昔からの神様を信じる?」
ここで、物部氏と蘇我氏が対立します。
物部氏「昔から日本人が信じてきた神様を大事にしようよ!」
蘇我氏「仏教はとてもよくできた考え方だから、日本でも取り入れたほうがいいだろ!」
これに加えて、次の天皇を誰にするかについても蘇我氏と物部氏がモメ始めます。
そして、ついに事件がおきる。
物部守屋殺人事件
587年、蘇我氏のリーダー蘇我馬子が物部氏のリーダー物部守屋を殺してしまいました。
蘇我氏の優勝。あっけないね。
日本はこのあと仏教を取り入れることになった。
新しい天皇は蘇我馬子の娘の結婚相手、崇峻(すしゅん)になりました。
しかし崇峻天皇と馬子がまたモメてしまい、馬子は崇峻天皇も殺してしまうのです。
馬子やりすぎじゃね?
聖徳太子の登場
崇峻天皇が死んでしまったので、次の天皇が選ばれました。推古天皇です。
この人も蘇我氏と親戚みたいなもん。
ちなみに初の女性天皇です。
女性天皇が政治(ルール決め)をする時は、だいたいサポート役の人がいます。
今回のサポーターは聖徳太子。(推古天皇のおいっ子)
聖徳太子はめっちゃかしこい男なので、結局ほとんどのルールは彼が作ることになりました。
どれくらいかしこい男なのか見てみようか。
冠位十二階
これまでの日本では「えらい人の子供はえらい人、えらくない人の子供はえらくない人」でした。
氏のシステムだね。
ところがこれでは、能力のない人に仕事をまかせたり、能力のある人に仕事が回ってこない、ということがありえるよね。
これはもったいないので、聖徳太子はひとりひとりの能力にあわせて立場を決めていきました。
がんばった人ほどえらくなれる、すばらしいシステムだね。
かしこい男、聖徳太子!
憲法十七条
憲法というのはルールのこと。争いをするのをやめて、天皇の言うことを聞いて、仏教を大切にしようね、みたいなルールでした。
今まではこういうはっきりしたルールがなかったんだね。
かしこい男、聖徳太子!
遣隋使
隋というのは今でいう中国のこと。日本よりもずっと発展した国だったので、聖徳太子は「中国に行って勉強してこい」と言ってある人を送り出しました。
その名は小野妹子。
かわいらしい名前ですが、ヒゲの生えたおじさんです。
中国のシステムを学ぶことで、日本の国づくりに活かしたんだね。
かしこい男、聖徳太子!
次回予告
推古天皇は蘇我氏の親戚。聖徳太子もその親戚。だからこのときはまだ、蘇我氏の時代なんだよね。
そして、聖徳太子や推古天皇が亡くなったあと、さらに蘇我氏が力を持ちます。
蘇我馬子の子の蘇我蝦夷(えみし)、孫の蘇我入鹿(いるか)がものすごい権力をふるい始めるのです。
しかし、そんな蘇我氏をやっつけようとするふたりの青年が現れて…
次回!やさしい日本史授業!
「蘇我氏を倒せ!熱き男の物語」
次もぜってー見てくれよな!
まとめ
権力争い…蘇我氏が優勝(馬子やりすぎ)
聖徳太子の政治①がんばった人がえらい人
聖徳太子の政治②天皇と仏教を大切にしよう
聖徳太子の政治③中国の仕組みを勉強しよう
〈きょうの放課後トーク〉
聖徳太子の別の名前は厩戸王(うまやとおう)といって、馬小屋の近くで産まれたんじゃないかと言われている。
また、さらに別の呼び方で豊聡耳(とよとみみ)というのもあって、10人がいっせいに話しかけてきたのを全部聞き取ったという伝説がある。
他にも別の名前があって、上宮王(かみつみやおう)、上宮太子聖徳皇(かみつみやのたいししょうとくおう)、豊耳聡聖徳(とよみみさとしょうとく)、上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと)とかがある。
なんじゃそりゃ。
ばいばーい。
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