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STUTSのLIVEで心震わされて、土偶について考えてみた。

「お、始まる」
開演時間になり会場全体が暗くなると颯爽とSTUTSのバンドメンバーがステージに現れた。STUTSが合図をかけると音楽が奏でだす。
(ビルボードライブは何回か行っているが「毎回、客席からアーティストが登場→スッと音を奏でだす」この流れが非常に気持ちいい。)
美味しいご飯やお酒はそっちのけで、いつの間にかSTUTSの世界観に溶け込んでいく。

華麗なスタートに圧倒されたわたしは、さぞかしクールなMCをすると思っていた。

「すみません、前の人、汗とんでないですか?」

めちゃくちゃ思ってたのと違う!

いい意味で「アーティスト」という境界を感じない、柔和さが滲み出ている。
ただ演奏が始まると、音楽に取りつかれたように人が変わる。
彼が創り出す音楽も素晴らしいが、彼自身が魅力溢れる人ということがよくわかるLIVEだった。
舞台上でのやりとりを見ただけだが、ゲストボーカルの鈴木真海子さん、Daichi Yamamotoさん、KMCさんも「音楽が本当に好きな」STUTSのことを好きな感じが伝わってきた。
STUTSをますます知りたくなったわたしは、彼に関する記事を読みあさった。

「常に勇気を持ってるわけじゃないですよ(笑)。ただ僕が心がけているのは、ルーツとなる芯は保ちながら、自分のいる場所を限定しないということです。音楽的なことで言えば、HIPHOPの感覚は大事にしながら、色んな音楽と交わりたいといった感じで。極端なことを言えば、今はミュージシャンをしているけど、将来別のことにワクワクするようになったら、音楽と並行して新しい仕事をするかもしれない。何かにとらわれたくないし、巻き込まれたくない。自分が常に良い状態でいられるようにしたいんです」

注目のトラックメーカーSTUTS「常に自然体でいたい」/朝日新聞デジタル

訂正したい!
STUTSは「音楽に取りつかれた」訳ではなく「音楽と共存している」のだ。
いろんな環境変化があったのにも関わらず、自分の軸はブラさないSTUTS。

「いろんな環境変化があったのにも関わらず、軸はブラさない」
あれ、このフレーズどこかで聞いたことがあるぞ。

あ!土偶だ!!!!

・縄文土偶の共通特徴→短い腕・脚をした十字形
中期と後期の間に若干の断絶はあるが、縄文土偶は基本的には時間的空間的にほぼ同一の思考で作成された。1万年という気の遠くなるような長い間、広い地域で守り続けたアイデンティティー。
土器の文様や流儀は地域や時代により変化したが土偶は基本とすべき点が変わらなかった
自分たちの繁栄と永続を信じていたという想定を可能に。
互いの繁栄のために結束して強力なまとまりを形成していた。
平和でなければ、厳しい自然のなかを生きていけなかったのでは?

縄文土偶ガイドブック/三上徹也

抽象土偶、超抽象土偶、具象土偶の分類はあれど、「短い腕・脚をした十字形」をしている。

わたしのお気に入り「縄文の女神」👇

山形県立博物館


縄文時代は、医療の発達もしていないので出産時及び乳児死亡率が高い。
1組の夫婦から2人の成人を育てるためには、約8人以上の子供を産んでようやく人口を維持できたのだとか。(縄文土偶ガイドブック/三上徹也より)

土偶は、呪術や祭祀の道具として豊穣や出産を祈るために用いられたと考えられている。
環境変化があっても共通特徴を持つことで一貫した同じ想いを1万年間共有してきた縄文人。

現代社会で生きる我々は「環境変化にも負けない軸」がなにかあるのだろうか。
金・名声・権力を手に入れることで成功で、成功=幸せという図式になっていると感じる。
STUTSのように自分自身で軸を決めることが人生を幸せにすることではないか。
六本木の夜景を見ながら思った。

閉演後の六本木の夜景


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