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コロナ禍におけるノーストレス生活

テレビを見ていたら「コロナ禍でストレスが溜まって仕方ない」という若者がいたので、それについて思ったことを書いてみる。

私はコロナ禍が原因のストレスはほとんどない。その理由を書く。

最初に断っておくが、コロナ禍で一番ストレスを感じているのは医療従事職だろう。まさかこんなにも政府や国民が自分勝手に振る舞い、自分たちにばかり苦労を押しつけるとは思っていなかっただろう。
コロナ禍になって医療従事職を目指す若者は相当減ったのではないだろうか。

そういう人たちにとってはストレス解消などありえず、私の考えも当てはまらない。

また、細心の注意を払っていたにもかかわらず感染してしまって、後遺症に苦しむ人たちにとってもコロナは多大なストレスに違いない。そうした例も除外。

あくまで一度もコロナに感染していない一般の人を想定しての意見である。

コロナ禍がストレスに感じる人は、マスクを付けることによるストレスが特に大きいのではないだろうか。

付けたくないのに付けなくてはならないストレス。

私は進んでマスクを付けているので、立ち位置が違う。

付けたくないなら付けなくていいと思うのだが、職場で付けることを義務づけられる、あるいは付けてないと周りの目が気になるということもあるのだろう。

とはいえ、最近は感染拡大してるにもかかわらずマスクをしてない人が半数以上?いるので、周りの目を気にする必要はなさそうな気もするが。

私がなぜマスクを付けることにストレスを感じないかというと、マスクを付けることで感染防止に貢献しているという意識が持てるからである。

嫌々付けている人は付ける意義を実感できないから不満たらたらなのだ。
マスクを付けることが社会の役に立っていると思えば、それほど苦にはならないのではないか。

言わば、感染防止チームの一員になって行動しているということである。

コロナ禍がストレスに感じる理由には「なんでこんな事態になったんだ」という苛立ちもあるように思う。

有無を言わさず、状況に振り回されるイライラ。

しかし、考えてみてほしい。

世の中は自分の思い通りにはいかない。

ウクライナ国民なんかその最たる例ではないか。

コロナ禍なんて世界中平等に困っているのだから、ウクライナやアフガニスタン、ミャンマーの内情に比べれば全然大したことには感じない。

それに、交通事故に巻き込まれて片足を失ったり、わが子を殺されたり、そういう理不尽な不幸は唐突に我々を襲ってくる。

そうした不幸を得てもなお、人は己の人生を生きていかねばならないのだ。

コロナ禍になって、「なんでこんな世界になったんだ」なんて嘆いていても仕方がない。

昔はスマホもなかった。YouTubeもLINEもTwitter(X)も、テレビやスマホのゲームもなかった。
コロナ禍といえど、インドアの娯楽は山ほどある。
疫病はないがそれらもない昭和の暮らしと今の暮らし、どちらを今の10代20代は選択するだろうか。後者ではないだろうか。

何もかも満ち足りた、自分の思い通りになる生活や人生なんてありえない。
もし今までそういう人生を送ってきたのだったら、たまたまというか、幸運だっただけにすぎない。

私は精神障害や発達障害であることで、人生が思い通りにならないということを嫌というほど思い知らされてきた。

これはコロナ禍において有益な人生観だった。
コロナ禍も「こういうこともあっておかしくないよね」と捉えているからだ。

コロナ禍という危機において、人間の本性が露呈するのは面白い。
今までまともだと思っていた人が熱心にノーマスク運動を始めたり陰謀論にハマり出したりして驚いた人も多いのではないだろうか。

私からすればコロナ禍より毎回の選挙における投票率の低さの方がはるかに危機に感じる。

コロナ禍で嫌々マスクをつけている人こそ、投票に行った方がいい。
日本がますます軍国化して、いずれ徴兵なんてこともありうるかもしれない。
日本は平和な国で、いつまでも戦争と無縁なんて信じているのはおめでたすぎる。

政治参加を放棄していて、気がついたらマスクどころか否応なく戦地に駆り出される未来だってありうる。

人生はままならないもの。

そういう意識で生きるだけで、コロナ禍の見方も変わるのではないだろうか。

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