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ハイドンが好きな男はいない (連作短編6)

 違いのわからない男・小清水健一は孤独な人生を歩んできた。
 39年間誰とも交際したことがない。毎年が厄年のような彼の人生はとうとう“三重苦”を迎えた。「高血圧・高血糖・高体脂肪率」という「三高」にもかかわらず、彼を快く迎え入れようという女性はいなかった。
 小清水はときどき水田真理のことを思い出す。顔を洗っているとき、シャワーを浴びているとき、トイレに入ったとき。水を見ると思い出すようにプログラミングされているのかもしれなかった。
 真理は洋服の趣味が悪く、「I'm on sale」とプリントされたTシャツを着てデートにやってきたときは赤面させられたが、クラシックという共通の趣味があったおかげで話題に困らずに済んだ。
 女心に疎い自分が恋愛なんて百年早いと思いつつ、目の前に魅力的な女性が現れるとすぐ好きになってしまう自分が恨めしかった。
 好きにならなければ苦しむこともない。好きになる前の方が相手との時間を楽しめていた。好きになってしまうと苦しい時間でしかなくなる。
 友達の少ない小清水は恋バナをする機会がない。なぜうまくいなかったのかを学ぶ機会がない。そのせいで似たような過ちを繰り返しているのだった。
 長年独りでいるとそれが当たり前になってくる。週末に街中に出ると大勢のカップルや夫婦と出くわす。外国人を見ているような気分になる。
 自分も恋人のいる人生を送れた可能性はあったのだろうか。ときどき小清水はそんなことを考える。鈍感の極みである彼のことを好きだと打ち明けてくれた女性も何人かはいたのだ。
 ただ彼はその好意に応えはしなかった。「とりあえず付き合ってみる」という発想もなかった。本命の女性でないと、という生真面目な性格が彼を長年独り身にした。
 いままたパン屋の看板娘に恋をした小清水は己の愚かさを呪いたくなる。看板娘はおそらく20代後半で、自分とは一回りも年の差があるだろう。
 50過ぎのおばさんが自分に言い寄ってくるのを考えれば、自分はあのパン屋に行くことすら許されないのではという気持ちになる。看板娘に嫌悪され、彼女のストレスの種になるくらいならこのままフェイドアウトした方がましだ。
 それは重々わかりつつも、会いたい気持ちに嘘はつけない。部屋にいるとつい看板娘のことばかり考えてしまう。J-POPのラブソングが聴きたくなってサブスクで流したりもするが、彼が聴くのは「366日」や「さよなら大好きな人」といった失恋の歌ばかり。いつ失恋してもいいように、気持ちを先取りしているかのようだった。
 つらいことや悲しいことよりも、嬉しいことや喜びを分かち合える相手がほしかった。決して劇的ではない彼の人生にもささやかな喜びや嬉しさはあった。
 彼の喜びは彼一人のものであり、一緒に喜び合える誰かがいない寂しさを頻繁に感じるようになっていた。
 パン屋の看板娘と会うのを楽しみに店に通っていたが、店に行くたび彼女に話しかけられない惨めさを感じることになる。
 いつしか店に行く楽しみは憂鬱へと変わっていた。彼の足は「オフィーリア」から遠のいていた。

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