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ちあきなおみ 歌姫伝説

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ちあきなおみ~歌姫伝説~をまとめました。
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#ステージ

ちあきなおみ~歌姫伝説~最終回 ラストライブ さようなら ちあきなおみ

ちあきなおみ~歌姫伝説~最終回 ラストライブ さようなら ちあきなおみ

~それぞれの愛~ コンサート

〔百花繚乱〕
(作詞・水谷啓二 作曲・倉田信雄)
 オーバーチュアが静まりドラムがカウントを取ると、ステージ両サイドからのサスペンションライトがステージ中央で交差し、おぼろげにちあきなおみの姿を照射する。前奏に乗って徐々に両腕を下から横に広げてゆくと、脇下から手首下まで仕掛けられた裾が孔雀の羽のように全開となる。そのシルエットからは一線級歌手のオーラが漂っている。

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ちあきなおみ~歌姫伝説~41 最後のステージへ

ちあきなおみ~歌姫伝説~41 最後のステージへ

 歌手・ちあきなおみの生涯を顧みれば、一九六九(昭和四四)年にメジャーシーンにその姿をあらわし、アイドル路線を経て、一九七二(昭和四七)年に歌謡界の頂点に立つ。その後、ドラマチック歌謡路線がつづき、船村演歌で歌手としての低力を見せつけるも、歌の方向性の違いから、郷鍈治との邂逅を機に、業界のあらゆる障壁に屈することなく、メディアから姿を消し独自の路線を進んでゆく。ジャズ、シャンソン、ファド、日本の名

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ちあきなおみ~歌姫伝説~38 歌手とは・後篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~38 歌手とは・後篇

前回からのつづき

 また、ちあきなおみは、「譜面(楽譜)が読めない歌手は歌手ではない」と語ったが、これはどういう意味なのだろうか、と私は考えてみる。
 その言葉どおり、ちあきなおみは歌う前には常に譜面を凝視し、歌詞はノートに自ら書き込み読み返していた。それはドラマの収録現場でも変わらず、カメラリハーサル、ドライリハーサル、ランスルー、そして本番直前に至るまで、この場では譜面であるところの台本を離

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ちあきなおみ~歌姫伝説~37 歌手とは・前篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~37 歌手とは・前篇

 規制を飛び越え、のっけからオールスタンディング状態となった客席に、薄暗がりのステージから天空に突き抜けるような歌声が響き渡ってくる。
 視線の先にはっきりと映り、鼓膜を圧してくるのは、私を郷愁へ導いてゆくひとつのシルエットだった。その中には、幾人ものフォークシンガー、ロックスター、そして、伝説の歌姫が幻影のように付帯して見える。と、四方からのライトがステージセンターを照射すると、あいみょんがギタ

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ちあきなおみ~歌姫伝説~36 バックステージ

ちあきなおみ~歌姫伝説~36 バックステージ

 二〇二〇(令和二)年十二月九日夕刻、私とゴッド(友人)の目的地である日本ガイシホールには、歌あるほうへと、静かにオーディエンスが集まってきていた。その光景を目にすると、コロナ渦にあるこのご時世、言いようのない想いが込み上げてくるような気がした。

 日本ガイシホールは、プロスポーツ興行をはじめ、国内外のアーティストのコンサート、商品展示会などが開催される、名古屋最大の体育館である。収容人数は一万

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ちあきなおみ~歌姫伝説~30 ただ歌のために

ちあきなおみ~歌姫伝説~30 ただ歌のために

 一九八一(昭和五六)年、ちあきなおみはレコード会社をビクターインビテーションに移し、これまでとははっきりと方向性を変え、伝説を積み上げてゆく。
 真摯にじっくりと好きな歌に取り組み、アルバム歌手として、アーティストとしての趣を見せながら、ちあきなおみ路線を劇的に繋いでゆくのである。そして一九八八(昭和六一)年、レコード会社をテイチクに移籍させるまで、ビクターから四枚のアルバムを発表している。
 

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ちあきなおみ~歌姫伝説~12 ちあきなおみの途・中篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~12 ちあきなおみの途・中篇

 十二歳になったちあきなおみ(以下・三恵子)の、ふつうではない、その後の人生へと繋がれてゆく漂泊の門出となったのは、やはり歌だった。
 そこには、両親の離婚という事情もあったであろうが、それは歌うことで母親を喜ばせることができるのならば、という、引っ込み思案で人間嫌いの少女が神様に課せられた、「歌わなければいけない」という使命だったのかもしれない。

 中学生になると、三恵子と母・ヨシ子は居を東京

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